2015年12月25日金曜日

一時帰国(その1)


その2を書く余裕があるかは分かりませんが、とりあえずその1.


3日くらい前に戻ってきました。


12月上旬は、日本語学校で書道のクラスがあったり、




クリスマスツリーを買いに行ったり、




まぁ普通に過ごしていたのですが、長年寝たきりだった母が亡くなったと連絡が入ったのが火曜日。

そんな事もあるかもしれないと思って、夏には円造のパスポートを申請してあったのですが、何と自分のパスポートが切れていることに気づき、あまりのバカさ加減に笑いました。

水曜日にロサンゼルスの領事館まで、緊急用の出国書類をもらいに行き、




その日はいったん帰り、翌日木曜日にロサンゼルスを発ちました。




前日春奈が吐いていたり、私もいつも偏頭痛がでたりしたのですが、だんなも今回は(あえて「今回は」を強調したい)機内で協力してくれたので、想像以上に楽な旅でした。

初日は成田空港近辺のホテルで一泊。



どうせ本人は覚えていないでしょうが、円造にとっては初めての日本です。




通夜、告別式とも親戚が来て、母の思い出話に盛り上がりました。私が子供の頃に脳腫瘍を患い、以後年々といろいろな事ができなくなり、私が成人する頃には、おそらく他の人はそうしているであろう、自分の子と大人同士の関係を築くという事ができる状態ではなかったので、母がどのような人だったか話を聞かせてもらえるよい機会になりました。




父のアパートにて。いとこ達と久々の再会で子供達は本当にうれしそうでした。




父が秋に引っ越してきたこの土地は、小さな漁港があり、大根やキャベツで有名な三浦半島にあります。



周りも昔から住んでいる人が多そうな感じで、私はこういう所が好きです。




びっくりするくらい狭くて危険な歩道を歩いたり(なぜキャベツ畑の前でかっこつけているのかは不明)



暴走老人父のバイクを見せてもらったり。




お天気がいいと、相模湾の向こうに富士山が見えます。県営住宅なのにこれはすごい!




子供達はだがし屋さん初体験したり、




バスに乗ったり、



日本のマックで食べ比べてみたり。




横須賀までお買い物に出かけた日は、なぜかどぶ板(という地域)の裏の住宅地に入り込んでしまい、子供達は変にテンションが上がって追い掛け回す羽目になりましたが、まぁ楽しかったようなのでよしとしましょう。



その2に続く・・・

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