2007年3月31日土曜日

かしましおばさん



先週、以前働いていた病院のスタッフとディナーへ行ってきた。もう4回目になるのだが、毎月違うレストランで女性スタッフ限定で集まっている。私は昨年末辞職したのだけれど、何故か毎月招待してもらっている。20代が1,2名いるのを除きあとは大体30から50代のおばさん達である。そしてそのまた半分ほどが現在シングル、彼氏募集中なので、毎月ウェイターの若いお兄ちゃんをナンパしたりするので、こっちはおもしろ半分ちょっと恥ずかしかったりするのである。

今回はイタリアンレストラン、ブカ・ディ・ベッポで集まった。12人以上のグループだと写真の「ローマ法王の部屋」を貸し切る事ができる。壁にはローマン・カソリック関連の写真が飾られ、テーブルの真ん中ではローマ法王が見守ってくださっている(ほんとか)。この法王像、無宗教派の同僚が「私はカソリックじゃない。こいつの顔を見て食事するのは不愉快だからどけてくれ」とウェイターに頼んだため、隅に追いやられてしまった。あんまりである。

今回も12人集まり、わいわい楽しくやってきた。離婚率が50%近いと言われるアメリカ、離婚歴があってもしょぼくれたりしていないところが彼ららしい。日本で4,50代で離婚していたら、もう子供もいるし恋愛なんて今さら・・・という方もいると思うし、大体彼氏募集中なんて公言したら世間の目が冷たいのではないかと思う。

私の勝手な思い込みかもしれないが、こちらの女性は子育てしつつデートも楽しみ、私の人生はきちんと楽しませてもらいます!みたいな気合が感じられる。それから日本のようにやたらと年齢にこだわりすぎないのも見習うべきだと思う。

だからこういう元気なおばちゃん達が12人も集まるとハリケーンのような勢いなのだ。ウェイターに横に座れだの、今日は何時上がりなんだとか、酒も入らぬうちから口説き始め、ナンパが難航すると隣の同僚にいい男を知らないか、いや知っているはずだろう、なぜ吐かぬ、などいちゃもんをつける。私がへらへら笑って聞いていると、あんたも結婚指輪はめて幸せそうにしてるけど、いつまでも続くと思っちゃ駄目よ、とか説教され全く大きなお世話である。

こうして毎回レストランを後にする時に「台風一過」という言葉が頭をよぎるのであった。

来月は私がレストランを決める番だ。とにかく周囲の迷惑を考え、サンディエゴ一うるさいレストランにしようと今から思案中である。

2007年3月25日日曜日

スプリンクラー



うちは一軒家に住んでいるので、小さいながらも庭がある。3年半前に購入した時は当時の家主がきちんと芝生をメンテナンスしており、花壇には花が咲き、これぞマイホーム、という感じの庭だった。それが一昨年ベイリーがやって来てからわずか半年ほどで荒地になってしまった。テリアなのでとにかく穴を掘り、ずいぶんあった植木もほぼ全部引き抜かれてしまった。
だんなに言わせるとベイリーは「外にあるものは内へ、内にあるものは外へ」というポリシーらしい。確かにどんなにブランケットをベッドに敷いても外に持って行ってしまし、ペーパータオル等を盗んでは外で引き裂いて遊んでいたりする。そのくせ、抜いた植木なんかは台所にわざわざ持ち込んで来る。ある時など、二階にいるとドカーン、ドカーンとものすごい音がするので見に行ってみると、2mほどあるスプリンクラーのホースを噛みちぎり、それをくわえたまま犬用ドアから入ろうとしているバカ息子を発見した事もある。
そんな訳で、うちの庭は戦場状態になった。植木がなくなってしまったし、スプリンクラーが全滅したのでついに芝生も枯れてしまった。4,5年してベイリーが落ち着いたら全部新しくしようという話だったのだが、さすがにだんなもこの荒れ様にウンザリしたようで、一念発起、とーちゃんの力を借りてスプリンクラーを直す事にしたらしい。
うえの写真はだんな(左)と、だんなのとーちゃん(右)。後ろに小さく農協のおばちゃんの様な人が道具箱の横に座っている。麦茶でも入れてあげているのだろうか。
週末プロジェクトなので数ヶ月かかると思うけれど、また折を見て近況報告いたします!
今週のビッグイベントは、週末アラバマからお友達の徳子さんが遊びに来てくれたこと。明日から5日間、アメリカでの獣医の最終試験を受けるそうで、話を聞いていて(レベルは違うけど)私もソーシャルワーカーの州免許取らねばなあ、と再認識してしまった。短い時間だったけれど、一緒に時間を過ごせて楽しかった。ベイリーとはるっぺと3人で写真を撮ろうと思いつつ忘れてしまったけれど、楽しかったからよしとしよう。今度はアラバマに遊びに行くからね!

2007年3月16日金曜日

自分の居場所

先日の一時帰国の件で、たくさんのお友達からアドバイスや経験談などのメールをいただいた。持つべきものは友である。どうもありがと。

悩んだ末、昨日チケットを購入した。5月30日成田着、一週間ほど横須賀で過ごした後、二番目の兄一家のいる大阪へ行き、6月14日に関空発の日程だ。本当は3週間くらい滞在したかったのだが、飛行機の座席位置を優先したため、結局この日程でしか取れなかった。一番上の兄が月初めに休暇を取れないので、何としても5月中旬に帰りたかったので残念だ。

結局2週間のみの比較的短い一時帰国になるが、こんなもんでいいのかな、とも思う。友達はほぼ横須賀、横浜近辺に集中しているし、そんなに何十人と会う訳でもないので一週間もあれば十分だろう。

アメリカに来て、はや5年半。学生のうちは確か半年に一度帰国していたような記憶があるが、結婚してからは一年に一度帰れるかどうかというところ。渡米してからしばらくは「日本人は」というのに、we(私達)を使っていたが、最近they(彼ら)という単語が思わず出てしまい、恐ろしくなった事が何度かある。民族としての日本人と言うよりは、時事問題などを話している時に「今に日本いる日本人」というつもりで話しているので、ついそういう言い方になってしまうと思うのだけれど、それにしても、5年半も離れていると、こういう風になるんだなと我ながら驚いた。

大体私には、日本に居場所というものが残されていない。私達が育った家はもうないし、両親はアパート住まい、兄夫婦のところも子供がいて、何週間も置いてもらう訳にもいかない。だから帰国しても、実家があって、あーただいま、帰ってきたよ、という感じではないから、いつも誰かのうちにお邪魔している状態になる。そんな訳で、帰国後一週間も経つと、旅行中のような「楽しいんだけど、そろそろ帰ってゆっくりしたいな」という気分になる。

そういえば、住民票も抹消されて、ないんだったっけ。

こうやって離れた土地に住んでいると、たとえ母国であってもだんだん違和感を覚えるようになっていくのだろーか。どんなに好きな恋人でも、離れていればいずれ忘れてしまうのと同じなのかもしれない。どんなに好きだったかを思い出す事はできても、感情の維持はよほどのロマンチストでなければできないだろう。それで何年後かに再会すると、自分の中で生き続けた恋人のイメージと、目の前にいる本人のギャップがすごくショックで、時間って残酷だ、とか思ったりして・・・。

・・・って、私にはそんなロマンチックな恋愛経験なかったんだった。がはは。

とりあえず、帰国予定がたったので一件落着というところかな。

2007年3月13日火曜日

モモンガ、空を行く。

「モモンガ歩き」を始めたはるっぺ。小さい時から空の旅は何度かしている。写真は義父(といっても私は英語でとーちゃんと呼んでいるが)が最近購入した小型飛行機。これに何度か乗せてもらったことがある。最初ははるっぺ5ヶ月だったので私も耳栓を用意したりしたのだが、騒音と適度な揺れがよかったのか、おっぱいを飲んだ後、半目を開いたまま爆睡したのであった。

とーちゃんに連れて行ってもらうのはいつも飛行時間1時間ほどの近場だし、泣いても周りは家族だからあまり気にならないのだけれど、民間機となるとそうはいかない。8月にハワイへ行った時も授乳のたびに足が隣の人の方へはみだしてしまい、曲げると怒って泣き喚いたりして散々な目にあった。男性には申し訳ないが、男はこういう時に本当に役に立たないので、頼れるのは自分だけなのである。

5月にはるっぺと2人で一時帰国する決心をしたのだけれど、肝心のフライトを考えると今から心配で夜もぐっすり眠れない。やった事ある人は口を揃えてどうにかなる、と言う。というか、どうにもできないので、何とかサバイバルするという事なのだろう。

航空会社によってバシネットのサイズや体重制限が違う。自分の席を取るのか、子供の分も取るのか。子供の分を取るのであればカーシートを持参するかしないか。バルクヘッド(旧式機種で映画のスクリーンのあるところ)の座席でバシネットを借りるか、キャビン最後部2席とって迷惑のかからないようにするか・・・。考えたらキリがないのである。強硬手段で、一度メキシコへ出国しティフアナ空港から成田への直行便なら空いているかな、なんて思ってみたりもする。

泣き止まなかったら、トイレに隠れてしまってもいいんだろうか。トイレをブロックしてしまう方が、耳をつんざく赤ん坊の泣き声を聞かせるよりは失礼じゃない気がする。ミルクのお湯をくれるらしいが、哺乳瓶は洗ってくれるのだろうか、それとも必要回数分空の哺乳瓶を持って行くのだろうか・・・。

はあ、1匹増えるって、こんなに大変なんだ。

気が重くなった私であった。





2007年3月8日木曜日

ももんが

はるっぺ、もうすぐ11ヶ月。本格的にあんよをしたいお年頃のようだ。今日も友人宅で見事にすっころび、またも三つ目小僧になってしまった。子供の転び方は、大人のそれとはスピードが違う。頭と胴体のプロポーションが違うせいだろうか。反射神経がまだ未発達なせいだろうか。大人なら「あらおっとっと」などと言って転ぶまでの時間に余裕があるが、子供は本当にあっという間に激突していたりするので目が離せない。
2日前に実家に送る目的ではるっぺがあんよの練習をしているところをビデオにおさめた。じじもさぞ喜んでくれることだろう、早速ダビングして送らねば、と再生してみると、そこには服を着たモモンガが映っていた。

こちらが証拠物件 mms://Neal-Morgan.com/Neal/HarunaWalking-1.wmv

住宅地にも関わらず、自宅裏には野うさぎやハミングバード、フクロウなどがやって来る。これでモモンガも加わったら、ムツゴロウさんに出張所でも出してもらえないかな。

2007年3月4日日曜日

最愛のシヅヱ


今日はバルボア・パークという、サンディエゴでおそらく一番大きな公園へ行ってきた。日本では考えられないような大きな公園で、中にいくつも美術館があり、サンディエゴ動物園も公園敷地内にある。動物園は特に好きではないし、週末のせいか朝から混んでいたので、噴水前の芝生で遊んだ。はるっぺは木片、葉っぱ、バナナなどを食し、たいそうご機嫌だった。芝生なら転んでも安全だと分かるようになってきたのか、ブイブイと私の手を振り払い、あんよの練習をしていた。まだ初心者のため両腕を前にあげてふらふらと歩く姿は「スリラー」さながらである。

何枚か写真も撮ったのだけど、どうも写真のセンスがないようだ。というか、センスというものに縁がないように思う。とても美しい美術館沿いの通りのショットは、赤の他人に焦点があっていた。しかもその男性が、ものすごい短い短パン姿の観光客だったりするから不思議だ。あんなもの撮って、私はどうしようと思っていたのだろう・・・。

という訳で今日の写真はないので、代わりに一番お気に入りのショットを紹介しちゃいます。これははるっぺ3ヶ月くらいの時。オムツ替えの時に撮った写真です。

実は妊娠中、加藤ローサちゃんのようなかわいい子が生まれている事を想像して「春奈」という名前を選びました。そしてありがたい事に大変元気な女の子を授かる事ができました。しかし出てきたのは春奈ではなく、どちらかというと「シヅヱ」という顔をしていました。大きくなるにつれて、顔の表情も変化するようになりましたが、それでもたまにすごくいなかっぺな顔になります。なので特に和風な表情を「シヅヱ顔」と名づけました。

この写真を見てだんなが「She looks like a beached whale.(打ち上げられた鯨のようだ)」。後日写真を見た義姉は電話で「あの写真、打ち上げられたセイウチ?」

いいんだよ、はるっぺ。ママはシヅヱもはるっぺも同じように愛しているんだから・・・・。