2007年6月30日土曜日
お庭ができました
以前紹介したとおり、数ヶ月前、それまで荒れ放題だったお庭の手入れを始めた。ベイリーも前のようにいたずらをしなくなったし、はるっぺが外で遊ぶのが大好きなので少しは快適な環境にしたかったからだ。
私達が日本へ行っている間、だんなとだんなの父ちゃんが芝生を植えてくれた。それまでの地面むき出しの状態と比較にならないくらい、小さいながらステキなお庭に変身した。ベイリーがおしっこをするので、どうしても枯れてしまうところもあるけれど、離れてみている分には気付かない程度に落ち着いている。写真には写っていないけど、花壇には2年前に植えたカラーリリーも復活した。2年間完全に放置されていたのに、しぶとく球根が残っていたらしい。義姉が好きだと言っていたので植えたんだっけ。カラーを見ると義姉を思い出すので、おうちにあるといいなと思って植えたんだけど・・・2年も土の中で眠っていたとは・・・。
下の写真は玄関横のブーゲンビリア。赤いところは花じゃなくて、葉っぱなんだそうです。うちには2本あって、この写真に写っているほうはいつもしょぼくて、貧乏くさい咲き方しかしなかったのに、今年はなぜか満開!なのです。
月曜日には、最近出会ったすてきな人のお話をしちゃいます。では。
2007年6月28日木曜日
カウンティフェア
アラバマからお友達の徳子さん一家がやって来た。と言っても旅行ではなく、ご主人のお仕事の関係でのようだ。徳子さんは3月に一度会っているけど20ヶ月になる娘のミーシャちゃんは去年の10月、サンディエゴからアラバマへ引っ越して以来だから半年ぶりだ。さすがに子供は成長が早い。随分お姉ちゃんになって、お話したり、車の鍵を上手に使って開けたりしていた。パパがエチオピア出身の方だけあり、とってもキレイに日焼けしている。私も今年の日焼け度にはちょっと自信があったのだが、ミーシャと比べると何とも中途半端な焼け具合に見える。
ちょうど一年に一度のカウンティーフェアをやっていたので、4人で行って来た。日本にはないので説明しにくいのだが、屋台が出ていたり、いろんな業者さんのブース(仮店舗のようなもの)や品評会などが行われる。あとはカーニバル(移動遊園地)もあって乗り物やボールを当てて人形をゲットするものなどいろいろ。確か6月中旬から、独立記念日(7月4日)まで毎年開催されているはずだ。
平日にも関わらず結構な混み具合。子豚のレースや牛の品評会、メキシコの踊り、ライブバンドなど、とにかく見るものがたくさん。小さい子供が楽しめるものは少ないけれど、いろいろ見ているだけで十分に楽しめる。お昼には芝生のあるところで遊んだりして、楽しいひと時を過ごせた。
ミーシャはなぜか芝生エリアで逃亡劇を繰り返し、お疲れの徳子ママをさんざん走らせていた。ママによると「さすがエチオピアの血」、逃げ足が異常に速いミーシャであった。
2007年6月25日月曜日
マンボウちゃんの正体
3月にひょっこり我が家にやって来たマンボウちゃん。今日その正体が暴かれた。
「オス」である。
エコーをやってくれた技師さんが「もしかして、とか、多分、とかじゃなく、間違いなく男の子です。」と断言していた。証拠写真の股間部分にご丁寧に矢印をつけ、「BOY]と記入してくれた。
毎晩ちんこおいてこーい!とお祈りしていた私としては、ちょっとショックだった。だって、女の子は一度経験があるから要領が分かってるでしょ。男の子となると、エイリアンだよねえ・・・。それなりにメンタルイメージができていて、娘二人がおそろいのドレスを着て・・・なんて夢見ていたのがアホみたいだ。
実ははるっぺの時も、女だと知らされてかなりショックだったのだ。男の子を産むと思い込んでいただけに、そのイメージを女の子に変えるのに随分時間がかかった記憶がある。
だいたい、とっておいた洋服はどうなるんだ!(怒ってもしょうがないか)また買いなおすのか・・・面倒くさい。でも男の子用の服も結構はるっぺに着せていたので、少しはお下がりが利用できるかな。
実家も、だんなサイドも、いわゆる「名前を継いでくれる」男の子がいないので、じいちゃん達はやっぱり嬉しいみたいだ。まあ、一姫二太郎というくらいだし、理想的なのかなあ。
余談になりますが、一姫二太郎を女の子1人、男の子2人と思っている人、結構いますよね。それからREM睡眠を深い眠りだと思っている人も多いですね。関係ないですが。
「オス」である。
エコーをやってくれた技師さんが「もしかして、とか、多分、とかじゃなく、間違いなく男の子です。」と断言していた。証拠写真の股間部分にご丁寧に矢印をつけ、「BOY]と記入してくれた。
毎晩ちんこおいてこーい!とお祈りしていた私としては、ちょっとショックだった。だって、女の子は一度経験があるから要領が分かってるでしょ。男の子となると、エイリアンだよねえ・・・。それなりにメンタルイメージができていて、娘二人がおそろいのドレスを着て・・・なんて夢見ていたのがアホみたいだ。
実ははるっぺの時も、女だと知らされてかなりショックだったのだ。男の子を産むと思い込んでいただけに、そのイメージを女の子に変えるのに随分時間がかかった記憶がある。
だいたい、とっておいた洋服はどうなるんだ!(怒ってもしょうがないか)また買いなおすのか・・・面倒くさい。でも男の子用の服も結構はるっぺに着せていたので、少しはお下がりが利用できるかな。
実家も、だんなサイドも、いわゆる「名前を継いでくれる」男の子がいないので、じいちゃん達はやっぱり嬉しいみたいだ。まあ、一姫二太郎というくらいだし、理想的なのかなあ。
余談になりますが、一姫二太郎を女の子1人、男の子2人と思っている人、結構いますよね。それからREM睡眠を深い眠りだと思っている人も多いですね。関係ないですが。
2007年6月23日土曜日
お国柄
今日、元上司の息子さんの大学卒業記念パーティーに行ってきた。元上司には横須賀で働いていた時にお世話になったのだが、一年半ほど前サンディエゴに戻ってきて、ご夫婦でこひらのベースで働いている。彼はフィリピン系アメリカ人(ハーフだったかな?)、奥様は生粋のフィリピン人で、パーティーの招待客も大多数がフィリピン人だった。
人間それぞれ個性があるけれど、お国柄というのも確かに存在すると思う。フィリピンやメキシコの人々は家族中心で、インディペンデンスというよりは、インターディペンデンスを重んじるように思う。アメリカ人は自分を一つの個体としてアイデンティティを築き上げるべきたという価値観だけれど、フィリピンの人は、自分の延長線上におじいちゃん、おばあちゃんなんかがみんなつながってて、その蜘蛛の糸のようなコネクションがあって初めて自分が存在する、みたいな価値観を持っているような気がする。
だから一緒にいると安心するというか、居心地がよいのかもしれない。今日も到着するなり上司の奥様が「まー大きくなったわねー」と言って抱き上げて、そのままどこかへ連れて行ってしまった。はるっぺも相手がベテランなのを感じ取ったようで、すっかりご機嫌だった。その後15分程いろいろな人にお披露目され、愛想を振りまいていたので、その機会を逃さずフィリピン郷土料理を楽しませていただいた。
実は去年別のフィリピン人家族のパーティーでも同じような経験があった。要はしばらくの間こどもの面倒をみてくれるのだ。これは非常に嬉しい。ご飯が食べられるからという理由もあるんだけど(笑)、自分の子をかわいがってくれるというのは、誰だって悪い気はしないと思う。もともとフィリピンではコミュニティー全体で子供を育てていくのかな。
日本はすっかり核家族化してしまったけれど、おそらく一世代前くらいまでは、そういう世の中だったんではないだろうか。しがらみが面倒くさいとか、噂が耐えないとか、短所もあるのだろうけど、ドライで表面的な南カリフォルニアの文化に浸っている毎日だけに、何だかほんわかした午後のひとときを過ごせた。
明日は義父母のうちに遊びに行く予定。こちらに戻ってきて11日。だんだんいつものペースに戻ってきたぞ。
人間それぞれ個性があるけれど、お国柄というのも確かに存在すると思う。フィリピンやメキシコの人々は家族中心で、インディペンデンスというよりは、インターディペンデンスを重んじるように思う。アメリカ人は自分を一つの個体としてアイデンティティを築き上げるべきたという価値観だけれど、フィリピンの人は、自分の延長線上におじいちゃん、おばあちゃんなんかがみんなつながってて、その蜘蛛の糸のようなコネクションがあって初めて自分が存在する、みたいな価値観を持っているような気がする。
だから一緒にいると安心するというか、居心地がよいのかもしれない。今日も到着するなり上司の奥様が「まー大きくなったわねー」と言って抱き上げて、そのままどこかへ連れて行ってしまった。はるっぺも相手がベテランなのを感じ取ったようで、すっかりご機嫌だった。その後15分程いろいろな人にお披露目され、愛想を振りまいていたので、その機会を逃さずフィリピン郷土料理を楽しませていただいた。
実は去年別のフィリピン人家族のパーティーでも同じような経験があった。要はしばらくの間こどもの面倒をみてくれるのだ。これは非常に嬉しい。ご飯が食べられるからという理由もあるんだけど(笑)、自分の子をかわいがってくれるというのは、誰だって悪い気はしないと思う。もともとフィリピンではコミュニティー全体で子供を育てていくのかな。
日本はすっかり核家族化してしまったけれど、おそらく一世代前くらいまでは、そういう世の中だったんではないだろうか。しがらみが面倒くさいとか、噂が耐えないとか、短所もあるのだろうけど、ドライで表面的な南カリフォルニアの文化に浸っている毎日だけに、何だかほんわかした午後のひとときを過ごせた。
明日は義父母のうちに遊びに行く予定。こちらに戻ってきて11日。だんだんいつものペースに戻ってきたぞ。
2007年6月17日日曜日
父の日
今日は父の日。だんなに「何がしたい?」と聞いたら、「ビーチにピクニックに行こう」。一瞬我が耳を疑った。ピクニック?ビーチ?不治の病で余命幾ばくなのだろうか。何を急にそんな事を思いついたんだろう??
半信半疑ながら、早速お弁当作りを始めた。サンドウィッチやらデビルド・エッグ、イチゴなど簡単なものばかり。結局行けなくなっても、お庭にテーブルとイスがあるので、そこでランチにすれば楽しくていいかな、なんて思う。今日も快晴、温度、湿度ともに快適だ。外にいて風に当たっているだけで気持ちがよい。
結局本当に家族でピクニックへ出かける事になった。これはブログで報告しないわけにはいかない、とカメラを持参する。行き先は、はるっぺと二人でしょっちゅう出かけるデルマーの海岸。うちから車で10分程だ。
行くとそこには、人、人、人。混雑が嫌なので、いつも週末は避けていたのだけれど、こんなに混んでいるとは!しかも今日は父の日とあって、バーベキューパーティをしている人も多かった。確か小・中学校も今週から夏休みなので、そのせいもあるのかもしれない。
いつも忙しくしているだんな、何もしないというのが逆に落ち着かないらしく、最初はソワソワしていたが、しばらくするとゴロンと横になって日光浴をしていた。はるっぺは辺りを歩き回ったり、人や犬の観察をしていたようだ。数秒の間を狙い、チョコレートクッキーをくすねて食べたので取り上げると泣いて怒り、仕方がないので赤ちゃん用クッキーをあげると何と芝生に投げつけた。恐るべし自己主張力である。
私も家事を担当しているとはいえ、外で働いて稼ぐ事の大変さを少しでも理解できるだけに、だんなが養ってくれている事に対して素直に感謝したい。どうしても自分の苦労(という程の事もないんだけど)ばかりに目がいってしまい、相手がどれだけがんばっているか忘れがちになってしまう。けんかする事も多いけれど、これからもサポートしあっていきたいと思う。
それにしても、何故にピクニックだったのか・・・未だ謎である。
2007年6月13日水曜日
里帰り
5月30日から6月12日まで、はるっぺと二人で日本へ里帰りした。あれほど心配していた機内の中は意外と大丈夫で、特に行きの便は乗務員や他の乗客の方々に親切にしていただき、はるっぺもずいぶん遊んでもらった。帰りは4時間ほど眠ってくれたので、これまた楽なフライトだった。
最初の1週間は横須賀に滞在し、高校時代やベース勤務時代の友人・知人と会うことができた。2年半ぶりに母、長兄、そして4年生になる姪にも会え、忙しかったけれど充実した一週間だった。残念ながら、おそらく誰よりも私達の帰国を待ち望んでいただろう父にはるっぺがなつかず、私が立ち上がるだけで泣き出す始末だった。父にはるっぺを見てもらって、その間に私はゆっくり晩御飯でも作ろうと思っていたのだけど全然計画が狂い、ほとんど毎晩ご馳走してもらう羽目になってしまった。帰国前、冗談で「帰ったら、寿司寿司、焼肉、寿司がいい」などと言っていたのだけれど、本当にそうなってしまった。
後半の一週間は次兄家族のいる大阪で過ごした。こちらには4歳になる姪がいて、幼稚園に送りに行った時に、はるっぺの手をつないで誇らしげに「これ、はるちゃん」と皆に紹介してくれたりして、ほほえましい限りだった。はるっぺは義姉に「羽二重もち」に例えられ、体中ニギニギされていた。義姉と姪、はるっぺと私の4人でお風呂にはいったり、兄が休みを取って箕面の滝に連れて行ってくれたり、よい思い出がたくさんできた。
アメリカへ行ってはや6年。その間に帰国は何度もしているけれど、子連れだとこれまた感慨深いものがあり、やっぱり家族っていいなあ、なんて思ってしまった。子供に対してあんなにクールだった兄達も散々かわいがってくれ、姪たちも妹のように一緒に遊んでくれ、こんなにありがたい事はない。父になつかなかったのが残念だが、今回帰国中にテレビ電話を設置したので、これからはしょっちゅう顔を見ながら話ができるので、はるっぺも父を見慣れてくれるかもしれない。是非次回帰国する時には父に抱っこされる姿を見てみたいものだ。
最初の1週間は横須賀に滞在し、高校時代やベース勤務時代の友人・知人と会うことができた。2年半ぶりに母、長兄、そして4年生になる姪にも会え、忙しかったけれど充実した一週間だった。残念ながら、おそらく誰よりも私達の帰国を待ち望んでいただろう父にはるっぺがなつかず、私が立ち上がるだけで泣き出す始末だった。父にはるっぺを見てもらって、その間に私はゆっくり晩御飯でも作ろうと思っていたのだけど全然計画が狂い、ほとんど毎晩ご馳走してもらう羽目になってしまった。帰国前、冗談で「帰ったら、寿司寿司、焼肉、寿司がいい」などと言っていたのだけれど、本当にそうなってしまった。
後半の一週間は次兄家族のいる大阪で過ごした。こちらには4歳になる姪がいて、幼稚園に送りに行った時に、はるっぺの手をつないで誇らしげに「これ、はるちゃん」と皆に紹介してくれたりして、ほほえましい限りだった。はるっぺは義姉に「羽二重もち」に例えられ、体中ニギニギされていた。義姉と姪、はるっぺと私の4人でお風呂にはいったり、兄が休みを取って箕面の滝に連れて行ってくれたり、よい思い出がたくさんできた。
アメリカへ行ってはや6年。その間に帰国は何度もしているけれど、子連れだとこれまた感慨深いものがあり、やっぱり家族っていいなあ、なんて思ってしまった。子供に対してあんなにクールだった兄達も散々かわいがってくれ、姪たちも妹のように一緒に遊んでくれ、こんなにありがたい事はない。父になつかなかったのが残念だが、今回帰国中にテレビ電話を設置したので、これからはしょっちゅう顔を見ながら話ができるので、はるっぺも父を見慣れてくれるかもしれない。是非次回帰国する時には父に抱っこされる姿を見てみたいものだ。
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