2007年12月28日金曜日

メリークリスマス


はるっぺにとって二度目、泰ちゃんにとっては初めてのクリスマスがやって来た。去年は大したプレゼントも買わなかったのだが、今年はだんなが大張り切りで、トイザラスへ行って三輪車を買ってきた。アメリカでは、クリスマスの朝にサンタさんからのプレゼントをあけるのが通例らしいので、うちもはるっぺをたたき起こしてプレゼントを見せてみたが、まだ眠いらしく、本人は当惑気味であった。

その後、うちから30分ほどのところにある義父母宅へ行き、義妹一家と共に賑やかにクリスマスを過ごした。はるっぺはあまりの人とプレゼントの多さに戸惑ったのか、終日ご機嫌ななめで、夜自宅に着いてからも手がつけられないほど号泣していた。

それに比べて泰ちゃんは楽である。誰に抱っこされてようが構わない。ひたすらおっぱいを飲んでは眠る、いたってシンプル・ライフなのである。おまけに軽量で持ち運び便利ときている。これで泣かないでくれれば文句はないのだが・・・。

私といえばダブルのジョガー(三輪バギー)と、デジタルカメラ、シルバーのイヤリングなど、いろいろだんなにプレゼントしてもらったので、しばらくは取り扱い説明書とにらめっこになりそうである。

(独り言:カタカナの「リ」と「ソ」を書き分けられない人がいるのは何故だろう。メリークソスマス、と書かれたカードを一度もらった事があるが、そのお陰で毎年クリスマスになると、この事について深く思い悩んでしまうのである。)

2007年12月22日土曜日

とーちゃん大活躍


泰ちゃんが生まれてから6週間が過ぎた。出産翌日退院し、家に帰ってみると掃除、洗濯が済まされており、何と庭の芝生まで刈ってあったので「ほう、やるねえ」などと感心したが、まあ一度きりの事だろうとたかをくくっていた。はるっぺの時は私が全て1人でやったし、だから今回もそうなるだろうと覚悟していたからだ。

それが、である。とーちゃん、結構がんばってくれているのである。私が朝出かける支度をしている時にはるっぺを見てくれたり、なるべく7時には帰って、はるっぺを風呂に入れてくれる。夜は9時から12時まで泰ちゃんを観てくれるので、私もその間子供抜きで仮眠が取れる。そんなの普通だよ!という方もいらっしゃるだろうが、うちのだんなにしては、ものすごく努力してくれているのだ。

息切れされては困る!と、火星に飛んでってしまうくらい毎日おだてているのも効果があるのかしら・・・。でも冗談抜きで、がんばってくれていると思うとこちらももっと彼に優しくしようと思うし、それに1人で全部やらなくてもいい、と思える心強さがうれしい。彼も手伝うようになって、二人の子の面倒を見る大変さを理解してくれているようだし、まあとにかく大助かりなのである。

2007年12月11日火曜日

公園再デビュー


子供達二人がすっかり元気になったので、今日出産以来始めてお友達と公園で会った。ここのところ公園へ行ってもイマイチ退屈そうにしていたはるっぺであるが、お友達が来ていたせいか今日はめいっぱい走り回って楽しそうにしていた。

出産してひと段落と思う間もなく子供らが病気をしたもので、結局ここ一ヶ月、ほとんどお友達と会っていなかったので、私も気分転換になって楽しかった。だいたい家にこもっていると気分も晴れない。はるっぺのブランケットを手にしながら「ブランキー堺」などと心の中でオヤジギャグをとばしたりして、精神保健上よろしくない。やはり日中一度は外の空気を吸うのが理想的と思われる。
だんなも想像以上に協力してくれるし、夜は7時に帰ってくるように努力してくれている。はるっぺのお風呂の時は、入れてくれるか、そうでなければ泰ちゃんを抱っこしてくれるので助かっている。子供が二人同時に泣き叫んだりしている時はこっちも泣きたくなってしまうが、それでもだんなやお友達の協力があって何とか毎日やっている。
・・・なーんて、呑気にブログを書いていたら泰ちゃんが起きてしまった。それではまた。

2007年12月3日月曜日

快復街道まっしぐら


週末はどうなる事やらと思ったが、はるっぺも泰ちゃんも順調に快復しつつある。今日は二人とも熱が上がらず上機嫌だった。はるっぺはお友達のジルとジュリーの家へ半日預けていたのだが、やや母親を恋しがった以外は元気にしていたらしい。
相変わらず泰ちゃんの事もかわいがってくれるので一安心だ。泰ちゃんのそばへ行っては「はーちゃん、コローン」と言って一緒に横になっている。もちろん危ないので目が離せないのだが、何ともほほえましいものである。
最近は「もう一回」「はっぱ」「Car」「Raisin(レーズン)」など、かなりはっきり発音できる言葉も少しずつ出てきた。ベビーシッターさんが特に積極的に話しかけてくれるようで、英語でなら1から10を(もちろん途中とばしてしまうのだが)数えられるようになり、ますます人間らしくなってきた。これからの成長が楽しみである。

2007年12月2日日曜日

泰ちゃん緊急入院の巻

生後23日にして、泰ちゃん緊急入院となってしまった。

はるっぺの具合がしばらく今ひとつだったことは既に書いたと思うが、木曜日辺りから泰ちゃんも微熱があるのかなー、と思い始めた。でもそんなに熱い感じもしなかったし、おっぱいもよく飲んでいたのであまり気にせず、体温も計らないでいた。しかし金曜の夜になってどんどん熱くなり、これはおかしいと体温を測ったら既に38.5度。病院に電話すると、新生児なのですぐにERに行くようにと言われ、夜中の3時に家を出た。

ERでは割礼したばかりの痛々しいおちんちんにカテーテルを入れ採尿されたり、脳炎の可能性もあるという事で脊髄液を抜かれたり、小さい手に点滴されたりしていた。拷問のように聞こえるが、本人は熱のせいか、その時泣くだけで後はこんこんと眠っていた。いろいろな検査を終え、結局朝の7時にそのまま入院となった。

検査の結果、病名はエンテロウィルスによる脳炎との事だ。・・・と書くと大事に聞こえるが、脳炎にも種類があるらしく、ウィルスによるものは良性なので、一週間位すれば自然に治るらしい。泰ちゃんは発熱のみだが、一般的に発疹と発熱がでるらしく、ドクターによると、おそらくはるっぺも同じウィルスに感染しているのだろうという事だった。

という訳で、二日入院しただけで無事今晩退院してきた。はるっぺの世話はベビーシッターさんとだんなに任せ、私は授乳のためほとんど病院にいた。家にいれば家事やら、はるっぺの世話やらで大忙しだけれど、病院にいる間は泰ちゃんの世話だけでよかったので、病気の息子を前にこんな事言うのは不謹慎であるが、随分のんびりさせてもらった。(できればあと2,3日いてゆっくりしたかったなあ・・・)

一時は39度を超す高熱が出ていたにも関わらず、幸いおっぱいだけはしっかり飲んでくれていたのが妙に心強かった。今日もまだ38度以上あるのだが、原因が特定できた事と、病院にいても特にできる事はない事もあり、今晩の退院となった。

これまでの3週間、はるっぺの事で頭がいっぱいで、泰ちゃんのお世話は最低限しかできなかったし、ただ抱っこして二人きりの時間を過ごす余裕もなかった。だから今回の入院で、初めて泰ちゃんとの絆が深められたような気がする。

はるっぺの方は、うっすらと発疹が残っているものの熱も下がり元気にしていたようだ。私の留守の間にジュースやナッツ類など、およそ私ならあげないようなものばかりだんなに買い与えられていたようで、帰ってきて冷蔵庫の中を見て愕然としたが、彼なりに子供によいと思うものを買ってきてくれたらしい。おまけに洗濯も済ませてあったので許すとしよう。

2007年11月29日木曜日

ブログ書いてる場合じゃないんですけどね

泰造ちゃんが生まれて3週間。最初の2週間は楽勝だったが、今週はかなりきつい。今も疲れてはいるのだが、授乳のタイミングなどの理由からあと30分くらいがんばって起きていようと思い、ブログの更新など呑気な事をやっている。

まずはるっぺがダウンした。もう2週間近く鼻かぜを引いていたが元気なので心配していなかった。が、3日前に高熱を出し、今日になって発疹が出たので、どうも突発性発疹ではないかと思っている。普通一度しかかからないらしいが、たまに二度なる子もいるらしい。とは言っても確実に診断された訳でもないので(というか医者にも連れて行っていないので)ベビーシッターさんにはお休みしてもらわなければいけないし、お友達にも遊びに来てもらえない。これから3,4日は完全に外界から隔離される事になる、はあ。

それに加えて、高熱のせいか毎晩夜中に起きておお泣きするので、結局普段7時間寝るだんなは睡眠不足。私も泰造ちゃんの授乳に加えてはるっぺの夜泣きで起こされるので、これまた睡眠不足。我が家で一番眠っているのは飼い犬ベイリーと、新生児の泰造ちゃんである。

そして今日、泰造ちゃんの割礼を行ったので、血だらけのオムツを替える度に泣かれて、お母さんは神経をすり減らしているのである。おっぱいを飲むとすんなり眠るので、見た目ほど本人は痛がっていないようだが、そうはいっても生後3週間の赤子である、痛々しくてかわいそうだ。

こんなに大変な日々でも、いつか振り返って懐かしいと思える日が来るのだろう(・・・と今は思いたい)。

2007年11月20日火曜日

気になる存在


たいぞうちゃんが我が家にやって来て10日が過ぎた。はるっぺも彼女なりに新しい家族が増えた事を認識しているようだ。今まではよく、「パパ、ママ、はーちゃん、ベイリー」と繰り返していたのだが、それに「たいぞー」や「ベイビー」を付け加えるようになった。
1歳半なので、赤ちゃんに嫉妬するのではないかと気をもんでいたのだが今のところその様子はない。小さすぎて嫉妬という感情が芽生えていないだけなのか、気質的なものなのかは謎なのだが、とりあえずたいぞうちゃんに接する時は犬猫と同じ、優しく扱っている。じーっと見つめたり、手を触ったりキスをしてみたり。不思議で仕方がない存在のようだ。朝も起きるとまず「ベイビー」と言って、泰造ちゃんの部屋へ行き、まだ眠る彼の横にゴロンとなるのが日課になった。
出産前は自分の睡眠不足の事ばかり心配していたが、生まれてみるとそんな事よりもはるっぺと思う存分遊んだり一緒に時間を過ごせない事が一番辛い。これも乗り越えてしまえば、より大きな幸せが待っている(はず)なのは頭では分かっていても、ママを独占できないのを、小さいながら一生懸命理解しようとしている姿を見ていると切なくなってしまう。
私には兄が二人いるので、一人っ子のよさというものを実感した事はないが、今回の出産で間接的にではあるが一人っ子の素晴らしさを少し理解できたような気がする。

2007年11月15日木曜日

黄色いんですけど・・・


もとマンボウちゃんこと、たいぞうちゃんが生まれて一週間が経とうとしている。今回は超安産だったためか、前回より早く快復しつつあるが、それでもちょっと腰が痛かったり、授乳のため寝不足になっているので無理は禁物と自分に言い聞かせている。はるっぺの時は2週間ほど軽い鬱状態になったのだが、今回は寝る前につまらない事で泣いてしまったりはするものの、特に日常生活に支障がある程ではないので順調といえるだろう。

だいたい今回は前回よりサポートシステムが出来上がっているので心強い。お友達が交代で夕飯を用意してきてくれているので助かるし、何より人が会いに来てくれるだけで気晴らしになってよい。後で食べられるようにと多めに作ってきてくれたり、食べやすいようにとお赤飯をおにぎりにして冷凍庫へ入れていってくれたりと、至れり尽くせりである。そうやって周りの人々が気にかけてくれているというだけで心強いので、うつ状態にもならずにすんでいるのかもしれない。

肝心の泰造ちゃんはすこぶる元気である。はるっぺと同じく黄疸が出ているものの、医師に言わせると母親がA型の場合はほとんど心配いらないとのこと。

今日の午後、あまりに天気がよいため外に出ると近所の人に出くわしたので泰造ちゃんを紹介した。するとオバチャン一言、「まあ!なんて美しい坊やなの!お母さんにそっくりの肌の色!」

・・・・おいおい、黄疸だっつうの・・・。

はるっぺは生後一週間の時点で明らかに色白だったが、泰造ちゃんはそんな感じがしないので、確かに肌の色は私似のような気がする。それにしても、そんなに黄色くないってば。

2007年11月10日土曜日

生まれたよ!

11月9日、無事に男児を出産しました。写真はこちら: http://www.neal-morgan.com/JT/

名前はジョン・泰造(たいぞう)・モーガンJohn Taizo Morgan です。

先ほど帰宅し、ゆっくりとお風呂に入り一段落したところだ。そういえば一昔前まで産後は入浴禁止だったらしいが、今は逆に傷や腫れによいと言われているらしい。日本ではどうなのだろう?

13日が予定日、生まれなければ15日に誘発分娩の予定だったのが、8日の健診で羊水が少ないので急遽その場で入院となってしまった。本当は9日入院でもよかったらしいのだが、予定入院のベッドがないという事で、じゃ今晩このまま産んじゃって下さい、という事になった。この辺が近年のメディカルケアのいい加減なところである。本当は「9」という数字を避けたかったのだがそんな事も言ってられず、そのまま8日夜に入院、9日朝に出産した。

二人目は楽と言うけれど、本当にあっという間のお産だった。夜8時に子宮口を柔らかくする座薬を入れ、朝4時に点滴の誘発剤に変更、5時半頃痛みに耐え切れなくなり無痛分娩にしたものの、一時間余りで生まれてしまった。

子宮口が全開になってからドクターが来て「一度いきんでみましょうか」と言うのでいきむと、予想以上にあっさりと頭が出てき始めたらしく両手を振り上げて「ちょっと待って、待って!」と言われ、それから数分で他のスタッフや医療用具などが手際よく用意された。そのあと2度いきんだだけでスッポーン!と出てきたので安産だったのだろう。

はるっぺはピンクで柔らくってムチムチしていた記憶があるのだが、泰造ちゃんは細くて、肌もあかく、ところどころポチポチができている。ちなみに3365グラム、50センチなので平均的といったところか。産毛が恐ろしく多く、サルの子をもらって来たような微妙な気持ちだが、しばらくすると抜けると言われたのでそれを信じよう。

とりあえず、これから4人1匹の新しい生活が始まる。このブログも名前を改めるべきだろうか・・・これから考える事にしよう。

2007年11月4日日曜日

父娘の時間

ここのところ連日お友達と遊んだり、はるっぺを預かってもらったりしていたが、 今日は久しぶりにはるっぺと二人きりだった。午前中は公園へ行き、車庫の中や裏庭で遊んだりした。夕暮れ時になってさすがに疲れてきたので、横になってはるっぺに本を読んでいるとだんなが部屋へ入ってきた。家で働いている時には、タバコを吸いに外に出るついでにちょっと顔を出す事は頻繁にあるのだが、長くて2,3分である。ところが今日は一緒にごろ寝をしてはるっぺと遊び出した。これはチャンスと思い、「臨月でしんどいんです!」という感じを必死にアピールしていたら、何と2時間近くはるっぺと遊んでくれた。前代未聞である。やはり肺がんか??

実はそれよりちょっと前、早めの晩御飯に出かけたのだが、その時に「今日公園で遊んでいたら、はるっぺとこうやって二人きりでいられるのもあと少しなんだなーと思ってちょっと寂しくなったんだ」なんて話をしたばかりだった。ご飯の最中も、コーデュロイのジャケットを着てちょこんと座り、フレンチフライにケチャップをつけてくれとせがむ姿がかわいくて、子供って本当にいいね、なんて話していたから、いつも一緒に時間を過ごさないのが惜しく感じてきたのだろうか。

いずれにしろ、貴重な父娘の時間を過ごせて、彼にとってもはるっぺにとってもよかったと思う。はるっぺが寝てから、今夜は助かったよ、ありがとね、と言うと、「自分がやりたかっただけだからいいよ」とまで言い切った(やはり末期か・・・)。

他人が家族というユニットを築いていくには、こういう何気ない時間の共有の積み重ねが不可欠だと再認識した1日でした。

2007年11月3日土曜日

準備万端じゃ!

予定日まで二週間足らずの今、私の体は「セイウチ時代」を卒業し、「カバ期」にステップアップした。山火事後の空気汚染、そして羊水が少ないという事で運動禁止になったため、日課の散歩も止めざるを得なくなった。運動不足のせいか、余計に疲れやすくなった気がするし、実際足のむくみもひどくなった。

はるっぺと二人きりでいられるのもあと束の間、一緒に時間を過ごしたい反面、疲れているのでつい周りに頼ってしまっている。つい先日友人宅にお泊りに行かせたばかりだというのに、今日は義父母宅で一日預かってもらった。 その間にお友達のSan Diego Momさんにペディキュアに連れて行ってもらい、その後子供抜きでゆっくりとランチを楽しみ、久々に女同士の楽しい一時を過ごせた。実はペディキュアは初体験だったのだが、なるほど人気がある訳だと納得した。爪を塗ってくれるだけではなくて角質を取ってくれたり、マッサージもしてくれるのでとても気持ちがよいのだ。私はこういうサービス系のモノは「ぜいたく品」扱いなので普段は縁がないのだが、お友達とお出かけする時や、何か自分にご褒美したい時にいいなと思った。

義父母ははるっぺを2時くらいに送りに来てくれる予定だったのだが、向こうから電話があり、すんなり昼寝したので、このまま寝かせて夕方に連れてきてくれるとの事。結局9時半から5時まで預かってもらった。義父母に預けるのも初めてだったのでやや心配したが、これも親の取り越し苦労、特に問題もなく1日が過ぎたようでよかった。

午後はただベッドに寝転がってテレビを見たり雑誌を読んだりして過ごした。1ヶ月ほど前から始めたマンボウの部屋の準備も完了し、上の写真のように、まあ殺風景ながら必要なものは揃えられたという感じだ。ベビーベッド、授乳用のロッキングチェア、添い寝用のベッドなど、はるっぺの時のお下がりだけれど十分使えるものばかりだ。


そしてこちらがはるっぺの部屋。彼女の使っていたベビーベッドをマンボウに使わせて、代わりに新しいベビーベッドを購入した。後々子供用ベッドに変えられるタイプなので、あと2,3年は使える(はず)。
11月14日までに生まれなかったから、15日朝に誘発分娩のため入院をする手続きも済ませてある。なのでおそらく、日本時間で17日には生まれているであろう。産着も洗濯したし、入院用品のリストも作成した。入院の日時によって、誰にはるっぺを見てもらうかが変わってくるので、それもリストにしてだんなに渡した。これで準備万端じゃ。マンボウちゃん、早くでてこーい!

2007年11月1日木曜日

持つべきものは(その2)

24時間の「自由時間」もあっという間に過ぎて、午後7時頃はるっぺがうちへ帰って来た。私の顔を見るとママー!と寄ってくるかと思いきや、あっさり素通りして家の中へ。意外とクールなのね・・・。

ジュリー(写真左)から今朝一番にメールが届き、はるっぺが何時くらいに眠ったとか、朝ごはんは何だったとかわざわざ教えてくれた。心配しているだろうと気を遣ってくれたようだ。幸いママが恋しくて泣くような事もなかったようで一安心した。夜も本を読んでいるうちにあっさりと眠りについたらしく、結局朝まで3人川の字で眠ったらしい。

はるっぺを連れて帰って来てくれた時に、彼女達が過去数ヶ月にわたって撮ってくれたはるっぺの写真をCDにおとしたものをくれた。ファイルを開けてみると、中には50枚ほどの写真が保存されていた。彼女達が買ってくれたオモチャで遊んでいる場面や、見たこともない公園で楽しそうにブランコに乗るはるっぺが写っている。

何だかその写真たちを見てじーんとしてしまった。預かってもらう度に感謝しているつもりだったけれど、こうやって実際にはるっぺが楽しそうにしている写真を見ると、いかに大切にしてもらっているか実感が湧いてくる。こんな風に自分の娘をかわいがってくれる人達がそばにいるって有り難い事だ。

2007年10月31日水曜日

サル、初めてのお泊り。

今日はハロウィーン。去年はまだ小さかったため何もやらなかったが、今年は歩けるようになったのでサルのコスチュームを着せてみた(GAPアウトレットで15ドル)。私は予定日まで2週間となり、いよいよ体が重くなってきたので家で留守番し、うちに来る子供達にキャンディーを配る役を担当した。

病院勤務時代の友人二人が晩御飯を持ってやって来てくれて、はるっぺをトリック・オア・トリーティングへ連れて行ってくれた。だんなも愛娘の初めてのハロウィーンにワクワクしていたようで、珍しく早く仕事から帰って来たので、4人で仲良く出かけていった。

100個ほどあったキャンディーは一時間半あまりでほぼなくなったので、今年は大盛況だと言える。数年前、玄関の明かりをつけ忘れたために外出中と勘違いされたらしく、子供がほとんど来てくれなかった。同じ間違いを繰り返すまいと、今年は玄関先にろうそくを灯しておいたのが功を奏したのだろうか、ずいぶんたくさんの子がやって来て楽しかった。

一時間ほどして我が娘も袋いっぱいのキャンディーを持って帰って来た。こういう時くらいいいじゃないか、とだんながチョコレートなどをやっていたが、やはり子供は甘いものが好きなようで、本物のサルのように興奮していた。今まで「からいからいだから、食べられないよ」などとホラを吹いていた私の立場が台無しではないか。

そんなこんなで、はるっぺ初めてのハロウィン、結構盛り上がって楽しかったのだが、我が家にとっての大イベントはその後である。実は今晩初めてのお泊りなのである。前述の友人二人(レズビアンのカップル)は、はるっぺ出産の時も立ち会ってもらった程の仲なのだが、彼女らの家で明日の夜まで預かってもらう事になっているのだ。24時間私から離れるなんていう経験今までにないので、どういう反応をするのか今から楽しみだ。私は普段はるっぺとベッタリだから、たまに離れられると息抜きになるけれど、やはりだんなは寂しいようだ。友人達が帰った途端、私の態度が悪いとかいちゃもんをつけられて、ははーん、寂しいから私にあたっているのねえ、と思った。こういう時は悪くなくても謝っておくのが一番である。

という訳で、明日は1日のんびり過ごせそうだ。とりあえずベイリー(犬)をグルーマーに連れて行ってやりたいので、どこかキャンセルが出るとよいのだけれど・・・どうかな。

2007年10月30日火曜日

気をつけなくっちゃ

最近のはるっぺ、急によく話すようになり一緒にいておもしろい。ベビーシッターさんに教わったのか「No way!](そんな訳ないじゃん!)を連発したり、イスに座っている母の尻を押して「どいちぇ(どいて)」と言ったり。新生児時代が苦手だった私にとって、すっかり人間になった我が娘を見るのは嬉しい限りなのだが、同時に自分の言葉遣いにも気をつけなければいけなくなった。

3,4ヶ月前はきちんと「熱い!」と言えていたのが、今ではすっかり「あぢー!」になってしまった。わざと悪さをしているのを見つかると、こちらより先に「あーあーあーあー!!」と言ったりする。日本語に関しては自分以外に責めようがないのだが、全く恥ずかしい限りである。

2007年10月25日木曜日

みんな無事です

結局22日の夜11時までねばり、それから車で30分ほどの所にあるだんなのオフィスで一晩を過ごした。避難勧告広域にわたり出されたため(サンディエゴだけで避難民が35万人)、スタジアムや競馬場、学校などが避難所に指定された。現在分かっているだけでも千軒以上の家屋が焼失したというのだから、今回の火事、本当に恐ろしいスケールである。

私達が避難したのは結局1日足らずで、次の日の夜にはそそくさと戻ってきてしまったのだが、長年サンディエゴに住んでいるだんなも避難は初めての経験、親子三人ぐったり疲れてしまった。避難勧告は昨日解除になったので近所の方々も戻ってきたが、みんなして口を揃えて「長い3日間だったね」と話していた。

たった一晩でこんなに疲れるんだもの、実際に家を失ってしまった人達はこれからもっと大変だろう。アメリカではちょうどこれからハロウィーン、感謝祭、クリスマスなどの行事が続く季節である。普段は商業主義で事あるごとにプレゼントを買ったりしてしまう我々だが、こういう時くらい、クリスマスのプレゼント交換の代わりに被災者基金に寄付をしたらどうかとだんなの家族に相談してみようと思う。

2007年10月22日月曜日

うちもいよいよ

我が家にもいよいよ警察からの避難勧告の電話が入った。既に近所の人ほとんどが日没までに避難しており、夕方外へ出た時はゴーストタウンのようであった。うす黒い煙の向こうに見える赤い太陽が異様だった。まだまだ火元からは遠いと安心していたが、夜になってうちから15キロほどの地域にも火の手が迫っているらしいということで、うちも近いうち避難する事になりそうだ。

近所の友達も一時間前に出発したらしいが、今現在高速道路もスムーズだとの事なので、とりあえず隣のオレンジ郡辺りまで車を走らせて、ホテルを探そうと思う。ちなみにサンディエゴ郡内の宿泊施設は全て満室という事だ。

とはいえ、火事がうちから見える距離にないのでいまいち緊張感に欠けており、夕方など家族3人で近所に空いているレストランがないか走って回ったほどだ。結局唯一マクドナルドが空いていたので晩御飯はハンバーガーで済ませた。スーパーやドラッグストアはまだ開いていて、前には結構車がとまっていたのでちょっと安心した。

とにかく安全な場所にこれから避難するので御心配なく(とか書きながら、実は家が一番安心とか思っているので、あと2,3時間ふんばってみようかな。)

一夜明けて・・・・

今回のサンディエゴでの山火事、 昨日の書き込みの時点では想像もつかないほど、大規模なものに発展しつつある。写真はうちの前の道路。拡大してもらえれば、路面に散乱する枝葉がご覧になれるだろう。夜も時折つよい風が吹き、まるで台風のようだった。案の定山火事は夜通し猛威を振るった様子で、うちから17,8キロの地域にも新たな火事が起きたようだ。義父母の住むラモナ市では昨晩のうちに避難勧告が出され、義母の妹のところへ動物共々避難したようだ。

今のところうちは避難勧告が出ていないが、出たとしても逃げようがない気がする。西に3キロ行けば海岸だし、南や北へ抜ける高速道路は朝6時自体で交通渋滞のため機能していないらしい。なので開き直ってレーズン入りスコーンを焼いて、おいしい紅茶と一緒に朝食を楽しんでいるところだ。だんなとはるっぺはまだ眠っているし・・・。

車に積めるものなんか限られているし、パスポートとかそういうもの以外は持って行ってもきりがない。おむつなど、必要最低限の衣食類でも持っていくか。

一番怖いのは、こんな状態で産気づいてしまう事である。市全体がパニック状態に陥りつつ今、車で移動するのは無謀であるし・・・予定日まで3週間あるので大丈夫だと思うが、とりあえず妊娠関連の本にあった緊急時における自宅での出産方法でもおさらいしておこう。

2007年10月21日日曜日

自然の脅威


現在サンディエゴは山火事真っ只中である。4年前のカリフォルニアでの大規模な山火事を覚えている方もいると思うが、今年もちょうど同じくらいの時期に起こってしまった。今回もサンタアナという、砂漠(内陸)方面から吹く非常に高温で、しかも乾燥した強風が引き金となったらしい。ちなみに現在、我が家の屋内の気温25度、湿度が30%弱である。サンタアナになると、異常に暖かいのと、空気が乾燥してコンタクトがゴロゴロしたり、鼻の中が乾燥して痛くなるので、今日も朝から火事になければいいがと案じていたほどだ。

たまたま日中だんなのオフィスに物を届ける用事があったので外出し、帰りに高速道路を走っていると異様に厚い雲が内陸から海側へ流れているのが見えた。それで山火事だと直感したのだが、なにしろスケールが大きいので火事自体は全く見えない。ただうす煙の中を30分ほど運転してようやく帰路に着いた。

帰宅後早速ニュースを見ると,山火事はここから3,40キロ離れたところである。上の写真は我が家の2階から撮影したものだが、こんなに離れていてもうっすらと煙が見えるのがお分かりだろうか。煙で太陽がかげり、夕日のようにオレンジ色になるのも山火事の特徴だ。家の中も煙臭く、ベイリー(犬)も心なしか不安げである。

義父母が内陸方面に住んでおり、四年前の火事でも敷地前ギリギリまで火の手が迫った事もあるため心配して電話をしてみたが、とりあえず今のところ大丈夫という事で一安心した。義母が動物好きでニワトリ2羽、犬1匹、猫が4,5匹いるので万が一の時には動物も非難させなくてはならない。
今日の午後は公園は諦めて、室内で遊ばせるとするか・・・。外遊びが大好きなはるっぺ、これから夜までどうやって持たせようか悩んでいる。

2007年10月20日土曜日

持つべきものは・・・



写真のかわいらしいボクちゃん、いつもお世話になっているSan Diego Momさんの息子さんである。春奈より半年お兄ちゃんなので、もうすぐ2歳になる。写真では分かりにくいのだが、パパに似てものすごく背が高いので、はるっぺも動物的勘が働くのか、他の子のようにどつきまわしたりはしない。

今年の2月頃、偶然公園で出会って以来のお付き合いになるのだが、この頃はお宅にお邪魔してばかりのかなり図々しい私である。大体週一回くらいのペースで遊んでいるのだが、これが私にとって気晴らしになっている。San Diego Momさん御夫婦には6歳の息子さんもいらっしゃるので、育児の事で相談に乗ってもらったり、愚痴を聞いてもらったり、アメリカの教育制度について教えてもらったりしている。

周りにいる他のお友達は私と同じく始めての育児なので、どちらかというと励ましあう関係にあるのだが、やっぱり二人子育てをしている人は貫禄が違う。育児書どおりに行かない事を体験しているというか、経験からくる余裕と自信がある。

こういう、横のつながりってとても大事だと思う。先日の投稿のように、常に「よい親」でいられない自分を「それもオッケーだよね」と許せる強さや優しさを、こういった周りのお友達や家族から分けてもらって、何とかやっているのだと思う。

余談だが、大昔武田鉄矢がテレビで、自分の子供に「人」という字は人と人が支えあって成り立っているんだよ、という話を聞かせたら「じゃあ、「入」は?」と聞かれた返事に困ったという話をしていた。子育てって本当におもしろい。

2007年10月17日水曜日

75点の母

前にお話したとおり、我が家ではアメリカ式に子供が寝る時間になるとベビーベッドに入れて一人で寝かせている。つまり添い寝をしないのだ。理由は簡単、寝る時くらい子供から離れていたいし、寝かしつけるのに時間を費やすのが嫌だからだ。ところが、ここのところ週に一度ほどはるっぺが夜中に起きてしまう。普段なら2,3分ふえーん、と泣いてからまた眠るのだが、最近は完全に目を覚ましてしまい、大声でママー!ママー!と泣き叫ぶ。そういう時は仕方がないので添い寝をするのだが、結局私が全然眠れず翌日まで疲労感を引きずる事になる。

昨晩もまた大泣きしたので、結果的に私は寝不足になり、朝から非常に不機嫌であった。当然はるっぺも睡眠不足なので、彼女も事あるごとにぐずっている。私もだんだんむかついてきて、はるっぺがぐずる度に「あんたがちゃんと寝ないからいけないんでしょ!」などとオニの様な暴言をはいていた。

それを見かねただんなが「キミがイライラしていると、春奈にも伝わって悪循環ではないか。」と説教を始めたので一気に疲れが倍増した。こちらは毎日子供の世話をしていて、そんな事は百も承知なのに、それすら理解していない事にがっくりきてしまった。彼が私のためを思って言っているのはよく分かるのだが、子育てに関わらない人が説教しても、正直説得力がないのである。

私にとって育児とは仕事である。いくら自分の子供相手でもつまらない時もあれば、イライラする時だってたまにある。だから本当にムカついた時くらいいい母親でいられなくてもいいと思っている。つまり総合して大体75点くらいでいいのである。全部完璧にやろうとすれば、それが裏目に出るのは目に見えている。だから自分に少し甘いくらいでちょうどよいのだ。

そういう私の考えにだんなはやや不満のようであったが、詩人のように理想論だけ並べ立てるのと、実際年中無休で実務に励むのとでは訳が違うのだ。私は自分なりのベストを尽くしているという自信があるし、だから他人からどう非難されてもあまり気にならない。ただせめて自分のだんなには、もう少し理解してもらいたいなあと思うのであるが、身勝手だろうか。

2007年10月15日月曜日

体当たり


昨晩ようやくベッドスプレッドができあがった。ご覧の通り、簡単なパッチワークにしたのだが、こうやって離れてみるとなかなかの出来ではないか!実はパッチワークなんぞ小学校の家庭科の授業でクッションカバーを作ったきり、知識も経験もゼロなのである。普段私は慎重派であるが、たまに突拍子もないことに体当たりする傾向があるらしい。
私がまだ3歳くらいの頃である。従姉にプールに連れて行ってもらいプールサイドを歩いていると、いきなりプールにドッポーン!と落ちたらしい。誰かが慌てて飛び込んで私を救助してくれたらしいのだが、その時私は「泳いでいたのに邪魔をした」と憤慨したらしいのである。
考えてみると私の人生、意外といい加減というか、行き当たりばったりなのだ。25で大学へ行ったのも、その後アメリカに来たのも、結婚したのも、一か八かというか、ま、何となく面白そうだからやってみようかな、程度でここまで来てしまった気がする。お友達の徳子さんは中学生の時には獣医になろうと決心していたというのだから、それと比べると私の人生、フーテンの寅さんのようにお気楽である。
そうは言ってもやはり子供ができてようやく、地に足がついた気がする。たまーにある体当たりの発作だって、パッチワークぐらいならかわいいもんだ。

2007年10月14日日曜日

パンプキン


一昨日、放置してあったパンプキンをようやくジャック・オランタンに「変身」させた。数年前にも一度やった事があるのだが、記憶していたよりうんと簡単にできた。なかなかの出来栄えだったので、得意げにはるっぺに見せると、毎日見慣れていた「パンキン」に突然顔がついたのでやや面食らったようだ。しばらく凝視した後、おもむろにどつき始めた。意外に力持ちの我が娘、監視していてなければ持ち上げて落としたりしていただろう。

力持ちだけならまだよいが、最近ますます自己主張が激しくなり、とにかく気に食わない事があるとテーブルの上の物をバーッと両手で押しのけて、落ちた物はわざわざ拾いなおしてぶん投げる始末である。体格といい、ふてぶてしい形相といい、ミニ寺内貫太郎といったところか。私はこれまた無駄な抵抗を繰り返す西城秀樹のようで、全く情けない限りである。

それでも愛しい我が娘、記念にと無理矢理パンプキンの横に座らせて記念写真を撮る自分に半ば呆れている。

2007年10月12日金曜日

命のバトン

高校時代の友人、Karasinaさんのブログからコピーしてきました。是非下記のウェブサイトもお立ち寄りください。

*大切な心のバトン*

一人の野球少年が、「生きたい!」と願い助けを求めています!!
ホームページはこちら「りょうすけ君を救う会」 http://www.geocities.jp/kanekoke1102/index.html

千葉県富津市在住の金子亮祐君(10歳、小学5年生)は、『川崎病後急性心筋梗塞による重症心不全』という病状で入院治療中です。 平成18年5月に9歳で川崎病を発症し、同12月に後遺症により心筋梗塞を起こしました。カテーテル施術により開通したものの心筋のダメージが広範囲におよんだ為、心機能が弱まった状態が続き、君津中央病院、その後千葉大学医学部付属病院にて強心剤の点滴等による内科的治療をしてきました。しかし、平成19年3月に心不全の症状が悪化した為、東京大学医学部付属病院に搬送され補助人工心臓を装着しました。装着後も心機能の改善は見られず、残された道は心臓移植しかありません。しかし国内では15歳未満の臓器提供が認められておらず、また、補助人工心臓を装着している間に感染や血栓の発生などの恐れもあり、早期の移植を実現するには海外での移植手術に頼るしかない状況です。海外では保険が使えないため、渡航費用・心臓移植手術費用・滞在治療費等で約1億2800万円という膨大な費用がかかります。ブログやホームページをお持ちの方是非、ご紹介、呼びかけ、ご支援、ご協力をお願いいたします。りょうすけ君を救う会 代表 鈴木 讓

2007年10月11日木曜日

急に何なんだ?!

ここ一週間、急に忙しくなった。先月の妊婦バーベキュー参加者の二人が続けて出産したのを始めに、義妹一家が遊びに来たり、晩御飯の約束があったり、家族・友人の誕生日プレゼントを買いに出かけたり・・・。そういえば今週はるっぺを公園に連れて行ってない、こんな事、歩くようになって初めてではないだろうか。

それに加えて安い生地を購入しベッドスプレッドを作り始めたり、ハロウィーン用のパンプキンを買ってきたりで毎日大忙しである。だんながそんな私を黙って横目で見ているが、通りすがりに「巣作りじゃないよね」などとのたまったりして、全く憎たらしい。

パンプキンは顔を彫って中にロウソクを入れるのだが、何と言っても相手は生のカボチャである。中身をほじくり出すのに一苦労なのだ。で、買ってきたまま台所に放置されている。ベッドスプレッドは春奈を寝かせてから作業を始める。0時まで寝室でミシンと向き合っているなんて、現代版つるの恩返しみたいだわ、とのぼせて鏡を見るとそこにはただの太った妊婦が映っていた。現実って残酷だ。

はるっぺは最近「暇だ」と訴える事を覚え、来客があったりして構ってやらないと、私のかばんを
引きずってきて「ブーブー、バイバイ」を繰り返すようになった。その他にもABCと言うようになったり(何故かCの発音が思いっきり和風で、「シー」というのが特徴)、1歳半にもなると、ほんと知恵がついてきておもしろいなあ、と思う今日この頃である。

2007年10月4日木曜日

マトリョーシカの生地

ここのところ不用品をさばくのにEbayでオークションにかけている。10年ほど前に買ったダイビング器材もしばらく使っていないので先週とうとう売りに出し、合計350ドルほどになった(喜んだのも束の間、その利益は二台目のチャイルドシートの購入費としてあっという間に消えていったのだが)。

そんな訳で、普段はあまり縁のないEbayを毎日覗いているのだが、まあいろんな物が売られていること、その品数の豊富さに驚くばかりである。私は昔から、洋服やブランド物に無関心なのだが、たまたまEbayで目にしたOililyというブランドのマトリョーシカ生地のパンツ(子供用)が非常に気に入った。これならオークションに参加してもいいかな、なんて思ったら、あと6日も残っているのに既に30ドルではないか。しかも中古品である。ブランド好きのママって大変だなあと妙に感心してしまった。

私は中古のパンツ一枚に30ドル払うほど洋服に執念がないので、自分でマトリョーシカの生地で見つけて作る事にした。が、これがなかなかないのである。インターネットで見つけたものも1ヤード10ドル、送料10ドル、合計20ドル。これに5,6時間の労働力を加味すると・・・うーん、微妙だ。特に送料10ドルというのが腹立たしいので近所の生地屋に行ったが、町の店にそんな洒落た生地は売っているはずもない。やっぱりオークションやっとけばよかったかなと思い再度Ebayを訪れたが既に50ドル近くまで値上がりしており、これまたブランドの威力を見せ付けられたのであった。

マンボウがやって来たら洋裁なんて呑気な事は言っていられない。やるなら今しかないのに、20ドルの出費が惜しくなかなか思い切れないでいる。たかだか送料10ドルに優柔不断な自分にあきれるのであった。

2007年10月2日火曜日

「巣作り本能」?


出産予定日まであと6週間。日に日にカバと化していく我が身を見ると早く産んでしまいたいと思う一方、いろいろ準備せねばいけない事が残されており、6週間で間に合うのか?!と焦ったりもする。そんな理由で今月だけ、火曜と木曜の半日ベビーシッターさんに見てもらうことになった。火曜日はいつもお世話になっている友人宅でベビーシッターさんに預かってもらえる事になったので、今朝8時にはるっぺを連れて行った。

4時間なんて長いようで短いので、帰宅早々シャワーも浴びずに作業を始めた。まずはクローゼットの整理から!と、春奈の小さくなった服をダンボールに詰めたり、マンボウに着せられそうな中間色の産着などを選別したりした。9時過ぎにだんなが起きてきて「そうか・・・春奈はいないのか・・・さびしいなあ・・・・」とつぶやく。いつも寝起きは機嫌と態度が悪く「おはよう」も言わず人の横を通り過ぎていく人がこれである。父親の娘に対する愛情とは相当なものらしい。

しばらくするとだんなが戻ってきて、今度は私の写真を撮り始めるではないか。こちらはシャワーも浴びていない、髪もボサボサ状態。「何なの一体?!」と聞くと、「巣作りしているところの記念撮影だよ」とニヤニヤしている。

日本でこの「巣作り本能」という言葉がどれだけ浸透しているか分からないが、こちらでは妊婦が出産前急に掃除を始めたりする事を「巣作り」と言う。実はこれ、私が苦手とする言葉のひとつなのだ。確かにはるっぺ出産前にも大掃除を済ませたり、不用品を処分したりした。しかしそれは私は物事を順序だてて効率よく片付けていかなければ気がすまない性格だからであって、出産に限った事ではないのである。それなのに出産前の準備だけを特別扱いして、わざわざ名前までつけて、それにみんなが納得しているのが私には不可解なのである。ほかの人が使っているのは一向に構わないのだが、たかがガレージの掃除をしたくらいで「巣作りしているのね」と一方的に納得されると、こちらも困惑してしまう。

だんなはそれを知っていてわざと「巣作りの記念撮影」なんて言ったのである。そのあともたびたび顔を出しては「おっ、巣作り・・・じゃなかったね?何やってるんだっけ?」などとほざいたのであった。そんなおちゃらけている暇があったら、少しは手伝っておくれ・・・。

2007年9月29日土曜日

わーいわーい!


今日父からの荷物が届いた。2ヶ月に一度くらい食料品やちょっとしたものをいろいろ詰めて送ってくれるので、私にとっては結構大イベントなのである。ハワイで会った時もたくさん乾物などを持ってきてもらったのだが、今回もリクエストしたクラッカーや和菓子などが山ほど送られてきた。はるっぺが届いた小包に示す興味のすごさといったら猫並みである。早速たまごボーロを発見し、開けろとせがんできた。

日本ではどうだったかすっかり忘れてしまったが、こちらでは土曜日も郵便配達があるので、もしかしたら今日あたりに届くかしら、なんてソワソワしていたらピンポーン!となったので急いでいってみると案の定郵便配達のおじさんだった。ちなみに郵便屋さんや配達のトラックがうちに来ると、はるっぺは必ず窓際へ行ってチェックを入れる。うちは行き止まりにあるので、Uターンするトラックが結構くるのだが、それでもとりあえず「ブーブー」と言って見に行きたがる。写真は今日の午後、いつものように外の交通状況を確認するはるっぺ。

正直言って、海外へ物を送るのってものすごく郵送料が高くつくのである。こちらで買えない事もない、というものもお願いしてしまっているのだが、それ以外にも私たちの事を思っていろいろ見繕って送ってきてくれると思うとそれだけで嬉しくなる。35にもなって親に甘えるのは何とも情けない話だが、逆に遠慮なく甘えられるのは父だけなので、もうしばらく甘えさせてもらおうっと。

2007年9月25日火曜日

カリスマお兄さん

今日最近仲良くなったお友達の家へ遊びに行った。夕方だったし、だんなも外出していたので図々しく晩御飯をご馳走になってきた。ご飯時になってご主人が帰ってきたので家族団らんのところお邪魔してしまったのだが・・・・このご主人、ただ者ではないのである。

まずご飯を食べ終わって「おじちゃんと遊ぼう」とはるっぺに話しかけて、息子さん(21ヶ月)と3人で遊び始めたのである。1階が広いお宅だったので、私と友達の目の届く範囲にはいたのだけれど、はるっぺはご主人と息子さんと遊ぶのに夢中で、母の存在など忘れてしまったようだった。

普段はるっぺは男の人になつかない。ハワイで会った父でさえ、私が横にいないと一緒に遊ぶなんて事はありえなかった。義父も同じである。大体女の人だって、相当慣れないと私を無視してまで夢中になり一緒に遊ぶなんてまずない(一週間に一度くらい一緒に遊んでもらっているSan Diego Momさんくらいになると、母と間違って手を引いたりしているが・・・)。

友達によると、ご主人はどんな子供にも動物にも好かれるそうだ。もう前から知っていた、みたいな感じで自然にすっと彼らの世界に入っていけるのだと思う。ただただ見とれてしまった。一緒に歌を歌ったり、ボールを投げたり、とにかくとことん子供に付き合って遊んでいる。結局小一時間、はるっぺは私を必要としなかった。生まれて初めての出来事である。その間に私はゆっくりご飯をいただいたのだった。

更に感動してしまったのが、このご夫婦、付き合っていた期間を含めると15年以上の付き合いらしいのだが、本当に仲がよいのである。友達も「何かさ、私が言うのもなんだけど、いい人なのよー」と本気で言っていた。特にベタベタしているわけではないのだが、お互いに向ける眼差しに温かさが感じられ、いやー、こんなカップル存在するのねー、とただただ感心するばかりだった。

最近風邪気味のだんなに「不摂生しているツケがまわってきたんだ」とか内心思っている自分が、とてもむなしく思えたのでした。私も少しはだんなに優しくしようっと。

2007年9月24日月曜日

ぬぼー。



うちの娘は、普段はわりと寝起きのよい方だ。私は添い寝をせずに、アメリカ式に時間になったらベビーベッドに放置(!)し、ドアを閉めてしまうので実際いつ目が覚めているのは分からない。なのでキャーとかアーとか、遊んでいる声が聞こえると、ああ起きたんだな、と分かる具合だ。

でもたまに寝起きが悪く、起きた途端フエフエ泣く事がある。今日の昼寝の後も珍しく泣いていたので、私達の寝室まで連れてきて、しばらくトントンしてやった。するとすぐに泣き止んだのだが、放心状態でぬぼーっとしている。

普段あまり二人で横になるという事がないので、何だかとってもかわいく思えた。寝起きで頬が赤く、どこを触ってもスベスベ、プヨプヨで、いいにおいがする。ベイリー(我が家の犬)が子犬だったときも台所の床で一緒にくっついてフガフガにおいをかいだっけ・・・・。私ってもしかして変態???

結局寝ぼけたまま、お友達の家へ遊びに行ったら元気になった。ただ単に気分転換か必要だったのかもしれない。

2007年9月21日金曜日

妊婦大集合


今日我が家でバーベキューパーティを開いた。ご近所のご夫婦2組、そして二ールのお友達夫婦1組、そして私達、計大人8人子供3人で賑やかな一時を過ごした。

実は私達以外は皆初対面だったのだが、女性陣が皆妊娠しており、しかも予定日が近い(10月・11月)という共通点があるため、妊婦バーベキューパーティをやったら楽しいんじゃないかというだんなの提案で計画されたものだった。私には日本にも予定日の近い友人、知人が2人いるので、合わせると妊婦6人、私の周りはまさに出産ラッシュである。

予定日の一番早い友人はやや疲れ気味で、最近あまり外出もしないから今日は楽しかったと言ってくれた。実際彼女の予定日は10月10日、私より約1ヶ月早い訳だから、そりゃもう妊娠自体に飽き飽きしているだろうと思う。私なんかあと8週間もあるのに、立ち上がるたびに「どーっこらしょーっと」なんてオヤジのような声を出してしまう程だ。これからがラストスパートでガンガン大きくなるというのに・・・末恐ろしい限りである。

2007年9月18日火曜日

母ぶち切れるの巻


今朝不当な理由ではるっぺにぶち切れてしまった。妊娠初期(4月頃)ホルモンバランスが崩れたのか、単に疲れていたのか何度か連続噴火したが、それ以来である。

理由は、最近購入したトイレトレーニング用のトイレでうんこをしなかったからである。実は一週間以上前から、うんちをする数分前から「うんち、うんち」と言い、オムツの中に用を足すと「うんち、ばっちい」を繰り返すようになっていた。しかし私の固い頭の中では「トイレトレーニングは2歳を過ぎてから」と決まっていたので、教えてくれてありがとうね、で済ませていた。

しかしよく考えてみると、本人が明らかに不快な顔をしてばっちいと言っているのに、大丈夫よーなんて呑気に済ませていて言いのだろうかと不安になり、いろいろ相談した結果トレーニング用のトイレを買ってきたのである。

私はこういった忍耐を強いられる仕事が大嫌いだ。とにかく子供をはたきたくなるくらい、どうしようもなくイライラしてしまうのである。哺乳瓶に慣れさせようと思った時は哺乳瓶、携帯電話などを壁に投げつけた経緯がある。離乳食に限っては、手作りのものを食べないと、これまた壁に頭を打ち付けたくなるくらいイライラするので、結局一月ほど手作りを与えず、瓶だけでしのいだ。ぶち切れる度に、後でどうしようもなく情けなく悲しい思いになり、よく泣いたものだ。

離乳食もほぼ完了し、おかげでぶち切れる事もないとホッとした途端これである。本人も初めての経験なのでそんなにうまくいく訳がないし、怒ってもしょうがないのは分かっているのだが「ほらね、トイレでできないんだから、文句言わずにオムツでうんちしてればいいでしょう!」とか思ってしまう。まさにオニババアである。幸いおしっこの方は、用を足した後に「ちっち」と言うので、こちらは当分オムツ任せでいけると思うがどうだろう。

来年の夏くらい、マンボウもでかくなって一安心って頃にトイレトレーニングかなあ、なんて思っていたので、ちょっとやり場のないイライラがたまっているのかもしれない。

経験者の皆様からのご意見お待ちしております・・・。

2007年9月16日日曜日

ベビーシッターさん



現在私は専業主婦であるが、それでも木曜の午後だけベビーシッターさんに来てもらっている。その間にちょっとした用事を済ませられので大変助かっている。用がなくても、自分だけの時間が持てると言うだけで贅沢している気分になる。

彼女の名前はジェシカ、現在20歳の大学生である。実はこの彼女、私の友人(元同僚)の娘でもある。春奈が6ヶ月の時、一時的に職場復帰したのだが、その時もジェシカが面倒を見てくれたので、はるっぺはすっかりなついている。今日もこの友人宅でのパーティに招かれたが、最初は知らない人に囲まれてひきつっていたはるっぺもジェシカを見た途端にっこり。ご飯を食べていても途中から母を見捨ててジェシカのほうへ行ってしまったほどである。

彼女の母親は静かで控えめながら、私が一緒に仕事したなかで一番有能な看護士である。彼女も母親の勤勉さを受け継いでいるのか、なかなかしっかりやってくれるのでこちらは大助かりである。大切な子供だけに、誰にでも面倒を見させる訳にはいかない。責任感のある人にお願いできるというのはありがたいことである。

2007年9月11日火曜日

ハワイに行ってきました!


9月2日から7日までハワイへ行ってきた。日本から父が合流したので、合計4人となり、去年同様コンドミニアムを借りての滞在だった。父が合流した、というよりは父に会いに行ったので特に観光などはせずのんびりと時を過ごした。数えてみればオアフ島は5回目なので特に観光したいと言う気にもならないのだが・・・。去年は次兄家族も来たので賑やかだったが、今回は少人数のため終始リラックスムードだった。

テレビ電話のおかげか、今回のはるっぺは「じじ」がいたくお気に入りで、さかんに愛想を振りまいていた。大した親孝行もしていないので、テレビ電話でじじの顔を忘れさせないようにしておくくらいしかできないのだが、それでも効果はあったようだ。

毎日のようにビーチへ行き、用もないのにABCストアを夜な夜な徘徊し、何とものんびりした6日間だった。だんなも仕事が少ないせいか、いつものカリカリした感じではなく、これまたリラックスできたようだ。ずいぶんはるっぺとも遊んでくれたので、私も助かった。コンドミニアムも値段にしては最高だったし、何もかもが二重丸の旅行だった。

来年は春にマンボウを連れて日本へ帰る予定だ。また成長したはるっぺがじじや他の家族とたわむれる姿を早く見たいものである。

2007年8月31日金曜日

気が早いんです私。




今日中古の二人乗りベビーカーを購入した。マンボウちゃんの予定日まで2ヵ月半あるので、ずいぶん気が早いのだが、きれいに使ってあり手ごろな価格のものを探すと意外に中古で出てこないので、思い切って買ってしまった。

二人乗りベビーカーについては、既にずいぶんリサーチを重ねてきたのだが、やはりよいものは高く、新品で550ドルから750ドルというところか。結局今回買ったのはペグ・ペレーゴというイタリアのブランドで今はるっぺが使っているベビーカーも同じメーカーである。友人達から、ベビーカーだけはケチらないで良い物を買いなさい!と言われてそうしたのだが、少しかさばる事を別にすれば大変使い勝手がよく重宝している。

もっとコンパクトな二人乗りベビーカーもたくさんあるのだが、やはりマンボウちゃんが小さいうちは乗り心地を優先したい。彼が少し大きくなったら、もっと小さいベビーカーに買い換えると思うが、当面これで何とかなりそうである。

ベビーカー購入ついでに、おもちゃ屋さんに寄って、はるっぺのお人形用ベビーカーも仕入れてきた。これまた驚いたのだが、うちに着いてベビーカーを開いた途端、指をさして「ベイビー、ベイビー」と言うではないか。そして自分の赤ちゃんのお人形を持ってきて、ベビーカーの中に入れたのである。うーん、人間の発達ってすごい・・・と、またまた感心したのであった。

2007年8月30日木曜日

しつこいですが、その後・・・。

前回に鼻息を荒くしてファンドレイジングについて書いたが、結局次の日義妹にメールをして、自分の思うまま伝えた。その後、正直な気持ちを伝えてくれてありがとうという趣旨のメールが来たので一件落着した。

その後、小学生を持つお母さん方といた時に、偶然同じような話題が出たので聞いてみると、公立学校の予算があまりに不足しているため芸術関係の教師は全て親からの寄付で雇われているという事だった。教育事情は地域によって違うようで、あるお母様は、東海岸に住んでいた時は、無料でバイオリンのクラスが受けられたので、サンディエゴに引っ越してきてあまりに学校事情が違うので驚いていると言っていた。

そんなに大変なら、是非とも甥の学校へ寄付したいという気持ちになったが、そこが頑固一徹の私、やはりこのファンドレイジングに参加するのは嫌なのである。

自分でも何故こんな事に異常にこだわるのか分からないし、はたから見たらバカバカしいと思われるのも分かってはいる。しかし甥がそんなに褒美をもらいたいとか、とにかく何でも一等でないと気が済まないのなら、自分で電話してくればよかったのだ。競争心が強いのは悪いことではないし、これから役に立つ事もたくさんあるだろう。甥がそういう気質の持ち主なら、それはそれでよい。そこをよい方向へ伸ばしてやるのが親の仕事なのであれば、彼自身に競争させればよいのであって、親が東奔西走する必要はないと思うのだが・・・。

と言っても、7歳児を持つ親の気持ちは、自分が7歳児を育ててみないと分からないのだろう。私が語っている事も所詮、理想論に過ぎないのだろうから。きっとはるっぺが小学生になった頃、この件を振り返り「何てナイーブ(無知)だったのかしら」と呆れる事であろう。その頃に、皆様のところへ「はるっぺが賞を取りたいので募金お願いしまーす!」なんてメールが届くかも・・・?

2007年8月28日火曜日

どう思います?

今日、義妹(だんなの妹)から次のようなメールが届いた。

「息子(私の甥ー7歳)の学校でファンド・レイジング(*)をやっているんだけど、もしよかったら参加してくれない?ウェブサイトが設けてあって、ほしいものを直接注文できるようになっているの。一番注文が多かった子にはご褒美が用意されているのよ」

(*)ファンドレイジング: 寄付金を集めるために(例えば学校の行事のため)家族や近所の人に趣旨を説明して、ラッピングペーパーや菓子の類を買ってもらい、資金を調達すること。通常より割高だが、近所の〇〇ちゃんのためだから、という感じで結構みんな協力する事が多い(と思う)

ファンドレイジング自体は、学校に限らず非営利団体その他で幅広く行われており、私も大賛成である。ただこの件に関しては、??と思う点が2つほどあるのだ。

まず、何のためにお金を集めているのかが説明されていない。ウェブサイトに行ってみても、いわゆる普通のショッピングカートがあるだけである。しかも私が注文すれば、コンピューターが、これは私の甥つながりで注文されたものだ、と判別するようになっている。だから学校側もどの生徒が一番お金を集めたか分かるようになっているのだ。

二番目に問題だと思うのは、一番お金を集めた生徒にご褒美が用意されている、という点だ。共通の目的のために、クラス全体で協力し募金を募るのは大変よいことだと思う。でも7歳の子供に、いっぱい売ってきなさい、一番だったらご褒美がもらえるのよ!と言う親の神経が私には到底理解できないのである。

多くの意味において現代社会が結果を重視するのは事実だし、成果を上げた人が褒美をもらえるのはフェアといえばフェアである。しかし、7歳児が学んでおくべきもっと大切な価値観というのがあるように思えるのだが・・・。

一晩考えて、明日になっても考えが変わらなかったら丁重に断りの電話を入れるつもりである。みなさん、どう思います?

サルじゃなかったんですね。



はるっぺ現在16ヵ月半。近頃つくづく人間らしくなったなと思う。車遊びが相変わらず大好きなのだが、最近は鍵なら何でも車に持って行ってエンジンをかけようとする。さすがに車の鍵は届かないところに置いてあるのだが、家の鍵、オモチャの鍵などとりあえず試している。エンジンがかからないのでキーッと怒る時の声はサルさながらであるが、行動自体とその根源となっているであろう思考回路を想像すると、はあ、やっぱり人間の子なのね、と感心せずにはいられない。

記憶力もますますよくなり、数日前に赤ちゃんの人形を車に置き忘れたことをしつこく覚えていて、車に乗る度「ベイビー、ベイビー」と繰り返す。そのくせ、人形を他の場所に移したという事は忘れてしまっているようなのだが、それにしても数ヶ月前の記憶力と比較すると、これまた「うーん、紛れもなく人間だ」と唸ってしまうのである。

2007年8月18日土曜日

暑いです。


ここ1週間ばかり蒸し暑い日が続いている。といっても気温27度、湿度が65%くらいだから、連日猛暑日の日本にお住まいの方々からすれば「贅沢だ!」と怒られるかもしれない。しかし、普段の湿度の低い気候にすっかり体が慣れているため、何をやってもだるく感じるのである。

一方はるっぺは全く暑さなど気にならないらしく、相変わらず外遊びが大好きである。仕方がないので庭で水遊びをさせ、私も腕や足に水をかけて涼んでいる。カバは泥まみれになる事で体を冷やすらしいが、妊婦には水遊びが効果的なようである。

お昼頃になるといい加減日差しも強くなり、体調を考えると日陰に引っ込まざるを得なくなる(偏頭痛持ちの私にとって直射日光は大敵である)。そこで、はるっぺを車の中で遊ばせる。大したオモチャがなくても、これで2,30分は楽しめる。洗濯機が車庫にあるので、遊ばせている間に洗濯をたたんだりもできるので大変助かっている。

とはいえ、夏も残すところあと僅かである。あまり面倒くさがらずに海やプールに連れて行ってやらねば。

2007年8月16日木曜日

テレビ電話



私の結婚した相手は、ウルトラ級コンピューターおたくである。スケジュール管理から留守電まで、とにかく全てをコンピューターで済ませるのが好きだ。その彼が、私が6月に帰国する際、私の家族へのお土産に、と取り寄せてくれたのがこのテレビ電話である。両親宅と次兄宅に設置できるようセットアップしてくれたもの2台を持たせてくれた。うちには既に1台あったので、これで日本にいる家族と顔を見ながら話ができるという訳だ。しかもインターネットの接続を使うらしく、通話料金は無料というではないか。

正直言って、持って行くのは面倒くさいなー、と思ったのだが、実際につなげてみるとこれがなかなか便利である。距離がぐんと近くなった気がして、「お父さん、ひじきの煮物が余ってるからこれから持ってくわ」なんて感じなのだ。はるっぺがテレビ電話を指差して「じじ、じじ」とせがむようになり、(そのくせ本人がでると意外と無関心)、結局父のところへ週に2回はかけているので、何だかしょっちゅう会っている様に錯覚してしまう。

イギリス留学中には国際電話も高かったし、なにしろタイムラグが2秒くらいあったので、会話がスムーズにいかないのが常であった。コンピューターも今ほど一般的に使われていなかったので、電話以外の通信といえば手紙であった。たった15年でこれだけ技術が進歩するのなら、果たして50年後はどうなっているのだろう。是非長生きして見てみたいものである。

2007年8月11日土曜日

次の出産について

マンボウちゃんの予定日は11月13日である。また3ヶ月もあるというのに既に私はセイウチのように巨大になってしまった。早く産んでしまいたい!と毎日思うのであるが、こればかりは辛抱強く待つ以外にない。

前回は自然分娩を希望しつつも、人工破水直後に早くもその意志は崩れ去り無痛分娩にしてもらった。アメリカでは予約など必要なくそのばで無痛にして下さいと言えばやってくれるので気が楽である。結局、人工破水から出産まで6時間、わりに安産だったと思う。いきんでいる間も、お腹が張る瞬間や、産道が恐ろしいほど伸びている感覚はあるけれど、痛みは全くなく、拍子抜けするほど簡単に出てきた。

で、次回であるが、いろいろ考えた結果やはり無痛分娩にしてもらうと思う。というのも、アメリカでは出産翌日、おそくとも翌々日には退院するのが常である(経膣分娩に限り)。事実はるっぺの時も出産から26時間後には退院していた。出産後私の面倒を見てくれる人は誰もなく、ご飯も洗濯も買い物も、全部自分でやった。人に頼んで、嫌そうな顔をされたり嫌味を言われたりするのなら、自分でやった方がいい。軽い産後うつだったせいもあるが、しばらく世界から切り離され、完全に孤立した状態にあり、誰も私が今どれだけ大変な思いをしているか知らないし、気にも留めていないんだ、と思うと恐ろしくなった。

前回の反省点を生かし、今回はもう少しマシな産後生活を送りたいので、出産後2,3ヶ月ベビーシッターさんに来てもらうことにした。うちの家計を考えるとえらい贅沢であるが、シッターさんがはるっぺの相手をしてくれる間に私は家事を済ませられるのでは、と目論んでいる。うちのだんなは家事を手伝うのは嫌いだが、その分ベビーシッターさんを雇うのは大賛成なようで、事実今も必要ないのに週に二日(3時間ずつ)シッターさんに来てもらっている。その間に私はいろいろな用事を済ませる事ができるので助かっている。

孤立した核家族とはこういうものなのだ、とつくづく実感する。周りに延長家族がいない分、しがらみはないけれどヘルプもないのである。必要なものは、外部から商品やサービスとして調達してくるしかないのだ。義父母にいじめられたり、あれこれうるさく言われたりする辛さも相当なのだろうが、誰の助けもなくたった1人で新生児のお世話をするお母さん達だって大変だと思う。少なくとも私は、短期間にせよ「ヘルプを買う」というチョイスがあるだけ恵まれている。

もし皆さんの周りに、そういうお母さんがいたら是非助けになってくださいね。

2007年8月7日火曜日

瞳の色は、何の色?

今朝親戚であるyumyumさんから、はるっぺの瞳の色は何色?と聞かれたので今日は瞳の色のおはなしです。

答えから言うと「謎の色」としか言いようがない。日の光や、着ている洋服の色によって変わってしまうからである。時には青に見えたり、緑だったり、へーゼルだったりする。出産前は「茶色の瞳が優性遺伝するから茶色になる」と思い込んでいたのだが、実は瞳の色を決定する要素は、遺伝子が優性か劣性かという単純なものではない事が最近分かってきたらしい。だから青い目の両親から茶色の目の子が生まれる事もありえるという話だった。

もうひとつ、これも出産直前に学んだ事なのだが、白人の赤ちゃんの瞳の色が変わるという事はよくあるらしい。出生後まもなく、遅いと2,3歳になって変わったりするらしい。それが、アイスブルーから濃いブルーに変わる、とかではなく、完全に茶色になったりするから不思議である。はるっぺは顔立ちがアジア系なのに瞳が青に近いのでかなり珍しがられて、スーパーや公園でよく声をかけられるのだが、その際「うちの子も小さい時は青かったのよー」と言う方がよくいる。ほとんどが1歳までに変わるらしいのだが、うちの姪のように、2歳半になって突然青から茶色になったという子もいるらしいから、ますます謎めいてくる。

更に興味深いのは、瞳の色は一方向にしか変わらないという事だ。瞳の色を色素が薄い順から並べると、青、緑、へーゼル、茶色となり、色が変わるとすればこの順でしか変わらないという事らしい。つまり、へーゼルで生まれた子が青になる事はあり得ないのである。

はるっぺが生まれた当初は珍しがられたが、しょっちゅう人から「変わるのかしら、このままなのかしら」とか、「あ!まだ瞳の色が変わってないのね。このまま変わらないといいわね」言われるので困っている。

2007年8月2日木曜日

何見てんのよっ!



サンディエゴに住んでいてよかったと思うのは快適な気候である。海に近い地域に住んでいれば、基本的にエアコンは必要ない。おそらく海から3キロほどに位置する我が家にもエアコンは付いていないが、特に不便に感じる事はない。湿度が低めのため、暑い日でも室内や日陰にいればそれなりに快適なのだ。今日も蒸し暑いと感じるが、それでも気温26度、湿度65%くらいだから日本に比べれば、随分と過ごしやすいのである。

はるっぺの昼寝時、本来なら窓を開けたまま寝かせたほうが涼しいのだろうが、彼女のお部屋が道路に面しているため、結局閉めっぱなしで寝かせてしまう。大抵はそれで平気なのだが、今日のようにちょっと暑い日だとさすがに水をかぶったように汗をかいてしまうので、ちとかわいそうなのだ。

今日も昼寝から目が覚めたので部屋を開けてみると、案の定「蒸しブタ」になっていた。やはり暑いと目覚めも悪いらしく、大抵こういう時は不機嫌だ。ブスッとした顔で母をにらみつける。あまりに仏頂面なので、つい写真を撮ってしまった。

2007年7月28日土曜日

(今度は)ミニ天功


はるっぺは、自分が移動するのに大抵私の手を引いて一緒に付いて来てもらいたがる。1人遊びがあまりできないようで、常に横にいてもらわないと嫌らしい。ところが今朝、珍しく庭で静かに遊んでいるではないか。これはチャンスと思い、台所で洗い物などを済ませていた。10分程して、あまりにも静かなので庭に顔を出すと、そこにはベイリーのお出かけ用クレートにこぢんまりと収納されていた我が娘がいた。これではプリンセス天功ではないか。これからどんな技を披露してくれるのだろう、とワクワクしながら見ていると、中で動いたせいか、クレートごと横に倒れ号泣したのであった。私が思わずガハハと笑うと、マジシャンとしてのプライドが傷ついたのか、威嚇する猿のようにキーッと甲高い声で怒ったのだった。

最近はドッグフードはベイリーが食べるもの、と理解するようになり、ドッグフードを持って来てはベイリーに与えようとする。ベイリーは顔に似合わず品がよく、基本的にお腹がいっぱいなら食べない。だからちょっと迷惑そうにしている事も多いが、大体付き合って食べてやっているようだ。たまにはるっぺも一緒になってコリコリ食べているのには閉口するが・・・。

2007年7月23日月曜日

牧羊犬、空を飛ぶ


先週一週間、カリフォルニアとネバダ州境に位置するレイク・タホへ行ってきた。行き帰り共、義父に送ってもらったので少し時間はかかったけれど、楽しい空の旅になった。普段はるっぺは、車で移動しても昼寝の時間でなければ眠らない。しかし小型飛行機だと離陸後すぐに目がトローンとなって、やがてまるで催眠術にかかったみたいに「ガクッ」と寝てしまう。普段娘の寝顔を見る事がないので、だんなも私もはるっぺの朝潮のような顔を見てはニタニタしていた。


タホ滞在中はサイクリングをしたり、ケーブルカーで山頂まで行ったり、のんびりした時間をすごした。幸いスイートルームだったので、はるっぺと別々の部屋で眠れたのもよかった。私はやはり夜は子供と別に、きっちり睡眠を取りたいほうだ。

はるっぺの一番のお気に入りはプールだった。と言っても泳ぐのではなく、プールに出たり入ったりを際限なく繰り返すのがたまらないようだった。彼女らしい、と思った。お誕生を過ぎてくらいから、だんだんはるっぺの気性が分かるようになってきたんだけど(ちょっと遅い?)、とにかく忙しくしているのがいいみたいだ。目的達成型というか、常に何かをやり遂げようとしている感じなのだ。このくらいの月齢だと皆そうなのかなと思いきや、周りの子はママのお膝に座って一緒に絵本を見たり、積み木で遊んだりしている。はるっぺは本を箱から出し戻ししたり、アクティブにしているほうが性に合っているらしく、その姿はまるで牧羊に使われる(らしい?)ボーダーコリー犬のようなのである。

この性質を活用し、弟の面倒を見てくれるよう訓練できないかと今からもくろむ、身勝手な母なのであった。

2007年7月11日水曜日

ミニ天童




アメリカではサマータイムが導入されているため、今の時期だと夜の8時くらいまで明るい。はるっぺはとにかく外で遊んでいるのが大好きなので、夕飯後にベイリーを連れて裏の公園まで出かける。さすがに7時半を過ぎるとほとんど人もいなくなるので、ベイリーを公園に放して思う存分走らせる事ができる。普段は、ベイリーとはるっぺを同時に監視するのが難しいため(ベイリーがいつウンチをするか分からないので目を離せない)はるっぺはジョガー(ジョギング用三輪ベビーカー)に乗せたままにしておく。

が、先週数日間、珍しくだんなが一緒についてきてくれたので、はるっぺも存分に走り回る事ができてたいそうご機嫌だった。上はそのときの写真。6月に赤ちゃんホンボで買った甚平が本当によく似合っている。周りのハーフの子はもっと垢抜けているのに、どうしてうちの子はこうもシヅヱなんだろう。どっかのお祭りで金魚すくいでもやっていそうなこの顔、何か天童よしみに似てないか?

下の写真は同じ日に、自宅上空を気球が通ったのを収めた写真。我が家近辺は気球ツアーでちょっと有名である。噂によると、夕方になるとふく西風を利用して海岸から出発し、おそらく7,8キロ内陸へいったところに降りてくるらしい。ちょうど着陸するところも数回見かけたことがあるけれど、美しい光景だった。

この日は庭に出ていたらものすごい低飛行で飛んでいる気球が接近してきたので、急いで2階へカメラを取りに行ったのだけど、戻ってきた時にはもうご覧の高度まで上がってしまっていた。低めに飛んでいる気球からは「ゴーッ」と火がつく音がして、外に出ていれば、あ、近くに気球飛んでるな、と分かるほどだ。

最近のはるっぺは、かなり遠くにある気球も目ざとく発見できるようになり「バ、バ」と言って喜んでいる(気球を英語でバルーンと言うため)

発見と言えば、最近鼻の穴を発見してしまったようで、しょっちゅう指を入れては「イヒヒヒヒ」と笑い悦に入っている。困ったものだ。

2007年7月2日月曜日

素敵な出会い


ちょうどはるっぺの誕生日の頃、近所の公園で、はるっぺよりもうちょっと年上の女の子とママらしき人に会った。名前を紹介しあうと、そのママらしき人が「ハルナのハルは季節の春?」と聞いてきたので、あれ、日本語できるんですか?と聞くと

「はい、私日本に留学していました」と日本語で答えが返って来た。

それがこの写真のご本人、ヴィアラさんだ。彼女はブルガリア出身で、娘だと思っていた子は姪だった。去年の夏、姪の面倒を見るためにアメリカにやって来てちょうど一年になるそうだ。その日は4人で遊び、それからもたまに公園で偶然会ったりして、その度に本当にはるっぺの事をかわいがってくれた。

公園で多くのママに会うけれど、大抵自分の子の面倒に精一杯で、よその子と一緒に遊ばせようとか思わないらしい。私は下手な英語ながら、他人の子も一緒に遊んだほうが楽しいと思うので話しかけたりしてしまう。例えば遊びの最中悪いことをしたら他所のオバサンに注意されるような事があってよいと思うし、その方が何となくよい気がする。だけど、そういう人ばっかりではないから、結局いつもはるっぺと二人ぼっちで遊ぶようになってしまう。そんな中、ヴィアラさんは自分の姪と同じように可愛がってくれ、たくさん写真も撮ってくれた。

そのヴィアラさんが、残念ながらビザの期限が切れるため、明日ブルガリアへ帰ってしまう。せっかく仲良くなれてお互いのおうちを行き来したりできるようになったところなので本当に残念だ。母国語が違う者同士でも、やはり時間を共有していくうちに、相手の事が何となーく分かるようになってくる。ヴィアラさんさんは子供が大好きな心の温かい人という感じがする。だからそんな遠くに離れてしまうなんて、結構寂しい。私も知らなかったんだけど、ブルガリアはトルコとギリシャの隣国らしい。うーん・・・・遠い。

そう落ち込んでもいられないので、いつの日かまたどこかで会える事を楽しみにしようと思う。幸い今の時代Eメールなる便利なものがあるので、世界中どこへ行っても連絡は取り合えるだろう。会えなくなっちゃうのは寂しいけれど、はるっぺと私が彼女に出会えた事に感謝したい。

2007年6月30日土曜日

お庭ができました



以前紹介したとおり、数ヶ月前、それまで荒れ放題だったお庭の手入れを始めた。ベイリーも前のようにいたずらをしなくなったし、はるっぺが外で遊ぶのが大好きなので少しは快適な環境にしたかったからだ。

私達が日本へ行っている間、だんなとだんなの父ちゃんが芝生を植えてくれた。それまでの地面むき出しの状態と比較にならないくらい、小さいながらステキなお庭に変身した。ベイリーがおしっこをするので、どうしても枯れてしまうところもあるけれど、離れてみている分には気付かない程度に落ち着いている。写真には写っていないけど、花壇には2年前に植えたカラーリリーも復活した。2年間完全に放置されていたのに、しぶとく球根が残っていたらしい。義姉が好きだと言っていたので植えたんだっけ。カラーを見ると義姉を思い出すので、おうちにあるといいなと思って植えたんだけど・・・2年も土の中で眠っていたとは・・・。

下の写真は玄関横のブーゲンビリア。赤いところは花じゃなくて、葉っぱなんだそうです。うちには2本あって、この写真に写っているほうはいつもしょぼくて、貧乏くさい咲き方しかしなかったのに、今年はなぜか満開!なのです。

月曜日には、最近出会ったすてきな人のお話をしちゃいます。では。

2007年6月28日木曜日

カウンティフェア

















アラバマからお友達の徳子さん一家がやって来た。と言っても旅行ではなく、ご主人のお仕事の関係でのようだ。徳子さんは3月に一度会っているけど20ヶ月になる娘のミーシャちゃんは去年の10月、サンディエゴからアラバマへ引っ越して以来だから半年ぶりだ。さすがに子供は成長が早い。随分お姉ちゃんになって、お話したり、車の鍵を上手に使って開けたりしていた。パパがエチオピア出身の方だけあり、とってもキレイに日焼けしている。私も今年の日焼け度にはちょっと自信があったのだが、ミーシャと比べると何とも中途半端な焼け具合に見える。

ちょうど一年に一度のカウンティーフェアをやっていたので、4人で行って来た。日本にはないので説明しにくいのだが、屋台が出ていたり、いろんな業者さんのブース(仮店舗のようなもの)や品評会などが行われる。あとはカーニバル(移動遊園地)もあって乗り物やボールを当てて人形をゲットするものなどいろいろ。確か6月中旬から、独立記念日(7月4日)まで毎年開催されているはずだ。

平日にも関わらず結構な混み具合。子豚のレースや牛の品評会、メキシコの踊り、ライブバンドなど、とにかく見るものがたくさん。小さい子供が楽しめるものは少ないけれど、いろいろ見ているだけで十分に楽しめる。お昼には芝生のあるところで遊んだりして、楽しいひと時を過ごせた。

ミーシャはなぜか芝生エリアで逃亡劇を繰り返し、お疲れの徳子ママをさんざん走らせていた。ママによると「さすがエチオピアの血」、逃げ足が異常に速いミーシャであった。

2007年6月25日月曜日

マンボウちゃんの正体

3月にひょっこり我が家にやって来たマンボウちゃん。今日その正体が暴かれた。

「オス」である。

エコーをやってくれた技師さんが「もしかして、とか、多分、とかじゃなく、間違いなく男の子です。」と断言していた。証拠写真の股間部分にご丁寧に矢印をつけ、「BOY]と記入してくれた。

毎晩ちんこおいてこーい!とお祈りしていた私としては、ちょっとショックだった。だって、女の子は一度経験があるから要領が分かってるでしょ。男の子となると、エイリアンだよねえ・・・。それなりにメンタルイメージができていて、娘二人がおそろいのドレスを着て・・・なんて夢見ていたのがアホみたいだ。

実ははるっぺの時も、女だと知らされてかなりショックだったのだ。男の子を産むと思い込んでいただけに、そのイメージを女の子に変えるのに随分時間がかかった記憶がある。

だいたい、とっておいた洋服はどうなるんだ!(怒ってもしょうがないか)また買いなおすのか・・・面倒くさい。でも男の子用の服も結構はるっぺに着せていたので、少しはお下がりが利用できるかな。

実家も、だんなサイドも、いわゆる「名前を継いでくれる」男の子がいないので、じいちゃん達はやっぱり嬉しいみたいだ。まあ、一姫二太郎というくらいだし、理想的なのかなあ。

余談になりますが、一姫二太郎を女の子1人、男の子2人と思っている人、結構いますよね。それからREM睡眠を深い眠りだと思っている人も多いですね。関係ないですが。

2007年6月23日土曜日

お国柄

今日、元上司の息子さんの大学卒業記念パーティーに行ってきた。元上司には横須賀で働いていた時にお世話になったのだが、一年半ほど前サンディエゴに戻ってきて、ご夫婦でこひらのベースで働いている。彼はフィリピン系アメリカ人(ハーフだったかな?)、奥様は生粋のフィリピン人で、パーティーの招待客も大多数がフィリピン人だった。

人間それぞれ個性があるけれど、お国柄というのも確かに存在すると思う。フィリピンやメキシコの人々は家族中心で、インディペンデンスというよりは、インターディペンデンスを重んじるように思う。アメリカ人は自分を一つの個体としてアイデンティティを築き上げるべきたという価値観だけれど、フィリピンの人は、自分の延長線上におじいちゃん、おばあちゃんなんかがみんなつながってて、その蜘蛛の糸のようなコネクションがあって初めて自分が存在する、みたいな価値観を持っているような気がする。

だから一緒にいると安心するというか、居心地がよいのかもしれない。今日も到着するなり上司の奥様が「まー大きくなったわねー」と言って抱き上げて、そのままどこかへ連れて行ってしまった。はるっぺも相手がベテランなのを感じ取ったようで、すっかりご機嫌だった。その後15分程いろいろな人にお披露目され、愛想を振りまいていたので、その機会を逃さずフィリピン郷土料理を楽しませていただいた。

実は去年別のフィリピン人家族のパーティーでも同じような経験があった。要はしばらくの間こどもの面倒をみてくれるのだ。これは非常に嬉しい。ご飯が食べられるからという理由もあるんだけど(笑)、自分の子をかわいがってくれるというのは、誰だって悪い気はしないと思う。もともとフィリピンではコミュニティー全体で子供を育てていくのかな。

日本はすっかり核家族化してしまったけれど、おそらく一世代前くらいまでは、そういう世の中だったんではないだろうか。しがらみが面倒くさいとか、噂が耐えないとか、短所もあるのだろうけど、ドライで表面的な南カリフォルニアの文化に浸っている毎日だけに、何だかほんわかした午後のひとときを過ごせた。

明日は義父母のうちに遊びに行く予定。こちらに戻ってきて11日。だんだんいつものペースに戻ってきたぞ。

2007年6月17日日曜日

父の日




今日は父の日。だんなに「何がしたい?」と聞いたら、「ビーチにピクニックに行こう」。一瞬我が耳を疑った。ピクニック?ビーチ?不治の病で余命幾ばくなのだろうか。何を急にそんな事を思いついたんだろう??

半信半疑ながら、早速お弁当作りを始めた。サンドウィッチやらデビルド・エッグ、イチゴなど簡単なものばかり。結局行けなくなっても、お庭にテーブルとイスがあるので、そこでランチにすれば楽しくていいかな、なんて思う。今日も快晴、温度、湿度ともに快適だ。外にいて風に当たっているだけで気持ちがよい。

結局本当に家族でピクニックへ出かける事になった。これはブログで報告しないわけにはいかない、とカメラを持参する。行き先は、はるっぺと二人でしょっちゅう出かけるデルマーの海岸。うちから車で10分程だ。

行くとそこには、人、人、人。混雑が嫌なので、いつも週末は避けていたのだけれど、こんなに混んでいるとは!しかも今日は父の日とあって、バーベキューパーティをしている人も多かった。確か小・中学校も今週から夏休みなので、そのせいもあるのかもしれない。

いつも忙しくしているだんな、何もしないというのが逆に落ち着かないらしく、最初はソワソワしていたが、しばらくするとゴロンと横になって日光浴をしていた。はるっぺは辺りを歩き回ったり、人や犬の観察をしていたようだ。数秒の間を狙い、チョコレートクッキーをくすねて食べたので取り上げると泣いて怒り、仕方がないので赤ちゃん用クッキーをあげると何と芝生に投げつけた。恐るべし自己主張力である。

私も家事を担当しているとはいえ、外で働いて稼ぐ事の大変さを少しでも理解できるだけに、だんなが養ってくれている事に対して素直に感謝したい。どうしても自分の苦労(という程の事もないんだけど)ばかりに目がいってしまい、相手がどれだけがんばっているか忘れがちになってしまう。けんかする事も多いけれど、これからもサポートしあっていきたいと思う。

それにしても、何故にピクニックだったのか・・・未だ謎である。

2007年6月13日水曜日

里帰り

5月30日から6月12日まで、はるっぺと二人で日本へ里帰りした。あれほど心配していた機内の中は意外と大丈夫で、特に行きの便は乗務員や他の乗客の方々に親切にしていただき、はるっぺもずいぶん遊んでもらった。帰りは4時間ほど眠ってくれたので、これまた楽なフライトだった。

最初の1週間は横須賀に滞在し、高校時代やベース勤務時代の友人・知人と会うことができた。2年半ぶりに母、長兄、そして4年生になる姪にも会え、忙しかったけれど充実した一週間だった。残念ながら、おそらく誰よりも私達の帰国を待ち望んでいただろう父にはるっぺがなつかず、私が立ち上がるだけで泣き出す始末だった。父にはるっぺを見てもらって、その間に私はゆっくり晩御飯でも作ろうと思っていたのだけど全然計画が狂い、ほとんど毎晩ご馳走してもらう羽目になってしまった。帰国前、冗談で「帰ったら、寿司寿司、焼肉、寿司がいい」などと言っていたのだけれど、本当にそうなってしまった。

後半の一週間は次兄家族のいる大阪で過ごした。こちらには4歳になる姪がいて、幼稚園に送りに行った時に、はるっぺの手をつないで誇らしげに「これ、はるちゃん」と皆に紹介してくれたりして、ほほえましい限りだった。はるっぺは義姉に「羽二重もち」に例えられ、体中ニギニギされていた。義姉と姪、はるっぺと私の4人でお風呂にはいったり、兄が休みを取って箕面の滝に連れて行ってくれたり、よい思い出がたくさんできた。

アメリカへ行ってはや6年。その間に帰国は何度もしているけれど、子連れだとこれまた感慨深いものがあり、やっぱり家族っていいなあ、なんて思ってしまった。子供に対してあんなにクールだった兄達も散々かわいがってくれ、姪たちも妹のように一緒に遊んでくれ、こんなにありがたい事はない。父になつかなかったのが残念だが、今回帰国中にテレビ電話を設置したので、これからはしょっちゅう顔を見ながら話ができるので、はるっぺも父を見慣れてくれるかもしれない。是非次回帰国する時には父に抱っこされる姿を見てみたいものだ。

2007年5月26日土曜日

偏頭痛

昨日、久々に偏頭痛にやられた。一月に人生で最悪のをやって以来元気に過ごしてきたのだけれど、とうとうやってしまった。と言っても、今回のはそれほどひどくなく、嘔吐もなくただ頭がガンガン痛いだけで済んだからよかった。

偏頭痛は遺伝するらしい。うちも長兄、母、母方の従兄弟二人が偏頭痛持ちだ。とくに兄はおそらく私より頻繁になっていると思う。日本にいる時は処方箋をもらわなかったのでただ痛みと嘔吐に耐えていたが、アメリカに来てからはとても体に合う薬と出会えたので、事前に予防する事ができるようになった。

偏頭痛の前兆としてオーラが見えるとか、独特の匂いがするとかいう人がいるけれど、私は全然ないので、ただの頭痛で終わるのか、偏頭痛になるのかが分からない。特に子供ができてからはダウンするわけにいかないので早めに予防策として薬を飲んでしまう。それでも昨日のように飲む時間が遅かったりすると、あまり効かない。悪くなる前に飲むのがキーのようだ。

実は先週友人が1週間泊まっていたのだけれど、離婚調停中のせいか、ものすごい機嫌が悪く私も当り散らされ散々な目にあったのだ。火曜日に(ようやく)帰っていき、木曜日は日本に持っていくお土産を買いに町中走り回ったので、疲れがたまったのだと思う。

結局友達に電話して、仕事帰りに春奈をピックアップしてもらい、夜まで見てもらった。春奈もすっかりなついているので、私も安心して預けられる。帰りも連れて帰ってきてくれるといったんだけど、いくら何でもそれでは申し訳ないので、7時頃マスカラが落ちてピエロのようになった顔、しかもパジャマのままで迎えに行った。

帰りに車を運転しながらつくづく思った。もうすぐアメリカへ来て丸6年。自分のファミリーができて、こうやって気兼ねなくお願い事のできる友達もできて、すっかりサンディエゴが地元になりつつあるなあと。

2007年5月19日土曜日

ガレージセール


私は基本的に要らないもの処分(あげる、無理なら捨てる)するのが好きだ。整理整頓が嫌いなせいもあり、いらない物をいつまでも取っておく事ができない。一方だんなは書籍類はもちろん、コンピューターのパーツ、壊れたものまで取っておきたがる。以前壊れたテレビを後生大事にとってあったが、はるっぺが生まれる2週間前にいい加減に捨てさせて、とお願いしてやっと処分できた。でかい腹で、更にでかいテレビをごみ処理場に持って行って、相手にびっくりされた記憶がある。

マンボウちゃんが11月にやってくるし、古い家具なども増えてきたので、いっぺんにまとめてガレージセールで売り出すことにした。

アメリカでは、一般家庭で不要になったものを家の前で売るガレージセールが定着している。地元新聞やインターネットで宣伝し、当日には近所に張り紙をしたりする。たまたま近所に同じ日にガレージセールをやっているお宅があり、何と私が昨夜電信柱に貼った貼り紙をご丁寧にはがして、自分達のを貼っていたりして嫌な感じで始まったのだが、いざ時間になるとたくさんお客さんが来てくれて、家具類は完売できた。

だんなも協力してくれ、はるっぺが生まれて初めて、家の裏の公園へ30分ほど連れて行ってくれた。いつも週末に、近所の子供がお父さんと公園にきているのを見て羨ましいと思ったけれど今日ようやく実現しました(!)セールは朝の8時から12時までだったんだけど、結局仕事をせずにずっと付き合ってくれた。

サンディエゴはメキシコ国境に位置するため、メキシコの人たちが多く住んでいる。今日のガレージセールにもわざわざメキシコから来たという人たちが何人かいて、話を聞くと他のガレージセールも回ってきたらしく、トラックにはわんさかと勝利品が積み重ねられていた。

物があふれ、壊れたら捨てるというのが当たり前になっているだけに、買った10分の1の値段でも引き取ってくれる人がいるのはありがたい。無料で持っていってくれ、というものも相当数あったのだけど、全て引き取り手が見つかった。売れ残ったものは、いつもお世話になっているグッドウィル(中古品・古着等を扱う非営利団体)に寄付しよう。

2007年5月12日土曜日

母の日のプレゼント

今日久々に家族3人で食事をした。うちは、結婚当初からだんなと別々に食事をしていたのだけど、別に仲が悪いからではない。彼にとって食事はどうでもいい存在らしく、空腹に耐えられなくなって初めて食べるので1日3食という概念がないらしい。気が向いた時に簡単に用意できるもの(主にスナック)を食べている(様子)なのだ。たまーに料理をしているとにおいに誘われて1階に下りてきても、自分の分をよそって2階に行って食べている。はるっぺが生まれる前は、毎週金曜日デートと称して二人でご飯を食べに出かけていたのだが、出産以来そんな余裕もなくなってしまった。

話を元に戻すと、母の日当日はどこのレストランも混雑するという理由で、今日お出かけする事になったのだ。妊娠中にも関わらず寿司や刺身を思う存分食べてきた(げっぷ)。はるっぺは隣の人をじーっと見つめたり、だんなから天ぷらやエクレアなど一歳児に不適切なエサばかり与えられていた。でも一応母の日のお祝いという事で、私が食べられるように一生懸命はるっぺの面倒を見てくれた。

家族3人で食事をするというのがとても新鮮に感じられたと同時に、やはり家族で食卓を囲むって大切だなあと実感した。普通のご家庭は毎日、少なくとも週末はお父さんも一緒に食事をすると思うのだけど、普段そういう経験をしていないもので、改めて、はー、こういう何でもない事の積み重ねが家族というユニットを築いていくんだなーと思った。

帰りには、前からお願いしておいた体重計を買ってもらった。帰宅後早速計ってみると、やっぱり60キロギリギリになっていた(おーっほっほっ)笑ってごまかしてる場合ではない。はるっぺの時は妊娠線がでなかったのだけれど、この分だと確実の気がする。はるっぺの時は13キロ太り、出産後2週間で10キロ減り(ものすごいむくんでいたので水分だったのかも・・・)結局最後の3キロを減らせなかった(涙)

59キロあったよ、とだんなに告げると、え、うそ、俺も計ってこよー、と言い、すぐ戻ってきて「俺は思ったより随分軽かったよ」とのたまった。そのあとコンピューターに向かいつつ聞こえよがしに「あれ、実際より軽く計測されるんじゃないのかなあ」だと。ふざけるな。

髪ぼさぼさで、ヨレヨレのTシャツ着ているお母ちゃんにはなりたくないと思い、これでも毎朝ちゃんと化粧をし、スウェットなどで1日過ごさないように気をつけているのだけれど、あまりに食いしん坊のためダイエットなど考えられない。つわりもほとんどなかったし、このままデブ一直線なのだろうか・・・。

せっかく買ってもらったプレゼント、無駄にならないように活用していきたい。

2007年5月8日火曜日

朝一番早いのは・・・


今朝も6時に目が覚めてしまった。この頃のはるっぺ、朝方ふえーん、と泣き出す。放置しておくと泣き止む事のだけれど、こちらは気になって起きてしまう。

自業自得なのだけれど、最近の唯一の贅沢として毎日はるっぺの昼寝にあわせて一緒に昼寝をしているので、夜は遅いと0時くらいまで眠れない事がある。そういう日に限って5時30分くらいにふえーん、と聞こえてくる。枕で両耳をはさんでも聞こえてしまう。英語で「1マイル離れていても聞こえる」という表現のがあるけれど、本当にその通り、自分の子供の泣き声ってどんなに離れていても聞こえてしまうんじゃないかと思う。

子供の時によく歌った、朝一番早いのはパン屋のおじさん、という歌があるけれど、あれは嘘だ。

朝一番早いのは、お母さんです!!

今度の日曜日は母の日です。周りのお母さん達に感謝の気持ちを伝えましょう。自分がお母さんの方々は、どうぞのんびりとした一日をお過ごしください。

パン屋といえば、今日久々にパンを焼いてみた。気温が30度近くまで上がり、5月にしては珍しく暑い日だったので、パンが作りやすいなー、なんて思ったら焼き立てパンが無性に食べたくなってしまった。

うちの母は料理が上手で、私達が子供の頃、誕生日やクリスマスケーキはもちろん、普段からもロールパンなどをよく焼いてくれた。当時珍しかったコンベックのオーブンで、バターたっぷりのパンが焼けると家中に何ともいえないあまーい香りがただよった。いつも、何時間かけて作るのにあっという間になくなっちゃう!と言ってたなあ。

こちらは薄力粉・強力粉のグルテン含有量が日本と違うので、日本から持ってきた母のレシピは使わず、こちらのレシピを使っている。日系スーパーにカメリヤがあるんだけど、割高なのでけちって未だに買った事がない。ディナーロール型に巻くのが面倒なため丸型パンにしてしまっているが、そんな事きにせず少食のだんなも喜んで食べてくれる。

何だか天気もいいし、体調もよかったし、はるっぺも機嫌がよかったし、よい1日でした。

2007年5月6日日曜日

気は心



日本にいる姪の一人が17日4歳の誕生日を迎えるので、ドレスを作ってみた。計画を練りだしたのが2月だから、2ヵ月半かかった事になる。型紙を写し取るところから始めるのと、はるっぺが寝てからの作業になるので、のんびりプロジェクトになった。もちろん毎晩取り組んでいたわけではなくて、気が向いた時にちょこちょこやっていたので、余計時間がかかってしまった。今まで簡単なものしか作った事がなかったので、ファスナーをつけたり、初挑戦の事が多く、どちらもひん曲がったドレスになってしまった。

最初は写真左のドレス一枚の予定だったのだが、2月時点で姪の身長が105cm、型紙が110cmなので、もしかしたら既に入らないかも・・・と不安になり、先週4夜連続でエプロンドレスを作った。これなら多少きつくても大丈夫だろう。

お世辞にも上手とはいえないけれど、未完成のドレスを手にする度に姪の顔が浮かんで、何だかそれだけでも楽しかった。それにきつくて入らなくても、ださいので着てくれなくても、数年後にははるっぺにお下がりとして戻ってくる(ハズ)・・・

問題なのが、もう一人の姪。今年小学4年生になったので、多分叔母さんが作ったダサいドレスなど送られても困るだろうし、いろいろ分かる年頃なので「ださいけど、作ってくれたから着ないといけないのかな」とか余計な気を遣わせるのも気の毒だ。

左のドレスの生地で、同じ刺繍を入れて何か作りたいのだけれど・・・

上履き入れ、お弁当袋、ティッシュケースなど、いろいろ考えてみるのだけど、何せ自分の小学生時代といろいろ事情が変わっているだろうから、何がいいのか分からない。ネットで検索してみるも、上履き入れも学校指定のところもあるらしく、うーん・・・どうしたもんかな。

という訳で、何かいいアイディアがあったらメールください!

2007年5月4日金曜日

産地直売所



うちには、はるっぺ用の帽子がいくつかある。全ていただいた物ばかりなのだけれど、ピンク色やデニム地などかわいいものばかりだ。それなのに、うちの娘は何故か、姪(だんなの妹の娘)のお下がりのこの黄色い帽子以外は絶対にかぶらない。この帽子でさえ、他に気をそらせて手際よくかぶせないと取ってしまう。

デザインはちょっと可哀想なイチゴとスイカで、お世辞にもかわいいとは思わないのだけれど、かぶらないよりはましと思い、毎日これをかぶってお出かけしている。

でもこのちょっとダサいところが「シヅヱ」という感じを醸し出していて、それはそれでなかなかよかったりする。この帽子をかぶったはるっぺを見ると、何とも懐かしいような、くすぐったいような妙な感じがいつもしていたので、何だろーなー、と思ったところ・・・

産地直売所によくいるおばちゃんみたいなんだ、と気がついた。

今日は野菜が安いヘンリーズマーケットでお買い物をしてきたので、早速裏庭に簡易直売所を作ってみました。

(実はこの後、ジャガイモやらたまねぎをボンボン地面に投げつけられて大変な思いをしたのでした)

2007年4月28日土曜日

2歳だワン!




25日、お蔭様で今度はベイリーが2歳の誕生日を迎える事ができた。あいにく私はその日に限ってつわりの症状があり、散歩に連れて行くのがやっと、料理などとても無理だったため缶詰のドッグフードにチーズで飾り付けをしてケーキに見立ててみた。いろいろ予定していた事がとにかく具合が悪いためできず、ごめんよベイリー、と心の中で謝った。が、本人は何ともあっさりしており、一気に完食しゲップをした後そそくさと外へ出て行ってしまった。去年は新生児を抱えていて何もしてやれず、今年もこれじゃ、あんまりにも気の毒だと思いつつ窓の外を見ると、のん気に壁に小便をしていた。食ったら出す、単純な生活なのだ。

以前ブログで、ベイリーが植木を全て引き抜いてしまったという話をしたけれど、最近はるっぺも庭で遊ぶようになったし、あまりにも殺風景なのでホームセンターでお花をいくつか買ってきた。サンディエゴは気候がよいため、ローズマリーやラベンダー、デイジーやハイビスカスなどいろいろな草花が簡単に育てられる。どうせ引っこ抜かれる運命と思い、安価なものを選んできて植えたのだけれど、意外や意外、2週間経った今も健在にしている。ベイリーも、たまににおいを嗅いだりはするものの、前のようにメチャクチャに駆け回って、植木を引っこ抜いて獲物を得たかのようにブンブン振り回したりはしない。

そうなんだ。毎日一緒にいるから気付かなかったけど、ちゃんと成長してるんだ。何だか嬉しいようなちょっと悲しいような複雑な気持ち。だからはるっぺが真横で奇声を上げたりしても、横目でちらっと見るだけでじっとしてるんだ。やっぱりはるっぺがやって来てからは特に、成長せざるを得なかったのかな。

はるっぺといえば、今ではすっかり快復し、またいつものように元気パワー炸裂である。このところ外で遊ぶのが大好きで、一日中庭と公園の往復。もともとだんなに似て色白なんだけど、さすがに日焼けしてきた。不思議な事に、焼けていないところはピンク色で、どちらかというと白人に近い肌の色なのに、焼けたところは黄色っぽく、日本人の日焼けした肌の色に似ている。

最近は箱に入るのが流行っているようで、箱なら何でもひっくり返して中のものを出してから、自分が中に入るのが楽しいらしい。15cm四方くらいの箱にも懸命に入ろうとして、私に「それは無理じゃないかなあ」と口出しされようものなら、「ほっといて頂戴!!」と言わんばかりに、物凄い声で泣いて抗議する。サイズによっては、スッポリはまって出られなくなる時もあり、ヤドカリのようでちょっとおもしろいのだけど、これも本人には屈辱らしく、笑うとすごく怒られたりして、とんだとばっちりである。

来年の今頃は4人1匹か・・・。ますます賑やかになっている事だろう。