2015年12月29日火曜日

耳の穴


年末の挨拶をしておきながら、更に更新。

春奈へのクリスマスのプレゼントのひとつ。それはピアスをしてもよいというものでした。

本当は来年4月、10歳の誕生日にしようと思っていたのですが、アメリカに戻ってきてゆっくりクリスマスプレゼントの買い物ができなかったことなどもあり、急遽だんなとクリスマスプレゼントにする事に決めました。

親友のアマンダちゃんと一緒に近所のモールへ。




まずはアイスクリーム屋さんで腹ごしらえをしてから、いざ!




と思ったら、目当てのお店は今はピアスはやっていませんと言われ、また車に乗って韓国スーパー横にあるちょっと怪しげなジュエリー店であけてもらいました。




そのあとモールに戻り、ティーン用ジュエリーショップでお揃いのピアスを買いました。



日本で9歳でピアスというとまずあり得ないでしょうが、少なくとも私たちの住む地域ではごく一般的に行われています。ちなみに春奈の仲良しの友達は既に全員やっていて、一番最後に残っていたのが春奈でした。

特にヒスパニック系(メキシコ系、または南米系)の人々は、女の子がまだ赤ちゃんのうちにピアスをする慣習があるようで、ほとんどの子は物心のつかないうちに済ませておくようです。

ただ、カンザス出身の友人(40代)は、「私が子供の頃は、ピアスをしている女の子はろくでもない、軽い、というイメージがあったから、母は私が高校生になるまであけさせてくれなかった。」と言っていたので、アメリカでも時代によって価値観が変わってきたのかもしれません。




ま、とりあえず無事ピアスあけてきました。

今日久々に会った小柄な友達が「春奈ちゃん、私と同じ身長じゃない?」と言うので横に並ばせると、確かに同じくらい。150cmだそうです。

先日もだんなと話している姿を見て、何だか本当に大きくなったな~と思ったところだったし、




昨日は車で円造が寝てしまったので、泰造と文奈を連れて図書館で返却、貸出し両方やってきてくれたし、




家にいるとまだ「ママ~」と甘えてきてくれるのが幸いですが、これから更に成長するなんて、楽しみだけどちょっと寂びしい気もします。






2015年12月26日土曜日

そしてクリスマス



クリスマスまでなだれ込んだ感じですが、

何とか乗り切りました。


昨日のお買い物。レジまでの列の先頭が見えません。幸い円造が寝ていたのが救いでした。買い物袋一つもらいそびれたのはこのお店です。




お買い物のあとは教会のキャンドルサービスへ。ただし私は最後の10分のみ。ぎりぎりたどり着きました。私が行きたい訳じゃないのでいいのですが、一応家族だから顔を出そうかなという程度です。




ラッピングを終えたのが結局朝の1時。




時差ぼけもあって、子供達は8時まで寝てくれたので私もそこそこ眠れました。子供たちにとってやはりクリスマスの朝と言うのは、一番待ちどおしい時なのでしょう。




泰造はMorph Suitと呼ばれる、全身を覆う黒いスーツをサンタさんにお願いしたのですが、大きい頭がややきつかったようです。




ギリギリで買ったわりには、意外と喜んでもらえて一安心。




文奈はアナ雪なら何でもいいそうです。



昼にはラモナへ。



着いて間もなく、姪と春奈が義母のお皿を割ってしまいかなり険悪な雰囲気になりましたが、まぁそれについてはあえて語らない事にしましょう。ちなみに姪と春奈は罪悪感で涙目になっていました。



クリスマスディナーを食べた後は、みんなゲームをしたり、お話したり、好きな事をしていました。


円造は、唯一子供好きな「義母のお姉さんの彼氏」という微妙な立場の彼が遊び相手になってくれてご満悦でした。



そんな訳で、2015年クリスマスも無事終わりました。今年はもう更新しないかも?しれないので、皆様どうぞお元気で新しい年をお迎え下さい。

2015年12月25日金曜日

日本帰国その2


その1で肝心な事を書き忘れていました。


コメントを残してくださった皆様、お心遣いいただきありがとうございました。あえて公開しませんでしたが、全て読ませていただきました。

母は長い間寝たきりだったので、訃報が入ったときも驚きはしませんでしたが、消化しきれない思いが残るのは仕方ないかなと思います。特に私は決して優等生ではなかったので、心配をかけた事、20代全般、働き始めた頃だったら温泉くらい連れて行けたんじゃないかとか、もっと優しくすればよかったとか、後悔する事が山ほどあります。

今更時間は戻せないので、とにかく今日できることをやる、無理のない範囲で、周りの人の手助けになれればなる。小さな事ですが、そういう事を毎日コツコツやっていけば、母も少しは喜んでくれるかなと思っています。


ホジホジ・・・


それではその2!


横須賀にいる間は、日中退屈しないように、アパート前の公園へ行ったり、




ガラスの破片だらけの危険な砂浜で遊んだりしました。




泰造と文奈がマインクラフトのジャケットを着て、竹で戦っている姿はやや異様でしたが・・・。




いとこのりいたんともすっかり仲良しに。文奈とは半年違いです。




ここは年が近くていいかも。




切れたパスポートで帰国したため、告別式翌日には横浜まで出てパスポートの申請に行き、帰国前日に取りに行きました。日本はきちっと何日から受け取りに行けるかが分かって最高!




その足で、小田原にいる、以前サンディエゴに住んでいた友人のうちへ。




平日(しかも月曜日)の面倒くさい時に泊めてもらいました。しかもだんなさんも早く帰ってきてくれて、二人でご馳走をふるまってくれました。ほぼ手ぶらでいった私たちはバックパッカーのようで恥ずかしかったです・・・。




二人きょうだいで、それぞれ泰造・文奈の大の仲良しだったのですが、二人とも最初はちょっと恥ずかしそう。暗くなる頃にはみんなで遊ぶようになりました。




放課後でしたが、お友達の通う小学校も見学させてもらえました。子供達の刺激になればと思ったのですが、泰造は借りたスリッパを履いたまま廊下をスライディングする事に夢中になり、何の肥やしにもならなかったようです。そういうやつです。




翌日には成田へ。ここの家族はパパが海外転勤組なので、もしかしたらいつかサンディエゴに戻ってくるかもしれません。それを期待して、今回はしばしのお別れ。



とは言っても、お別れはいつも寂しいですね。お友達が発車と共に走り出して、ちょっと涙が出ました。



子供達に新幹線も乗せてやりたかったので、これも今回の帰国で果たせました。




ま、そんな訳で、 何とか飛行機に乗り、




翌日無事帰宅!と思ったらそうはいかず。




先月行ったシロアリ検査で、シロアリがいる事が発覚したので、私たちが日本にいる間に急遽シロアリ駆除をするように言われました。そうしないと買い手の銀行がローンを出さないといわれたためですが、仕方なく近所の人に頼んで、家中の食品と薬品全てを箱詰めにして家から出してもらわなければなりませんでした。アメリカに戻っても結局家はこの状態で、仕方がないので近所のホテルに一泊してからようやく家に戻る事ができました。帰ってからも、ご近所さんが預かってくれていた10箱分の食品の片付けと、旅の後の選択や片付けを同時進行。

そのほかにも、ロサンゼルス空港から帰国する直前に、子供とだんな用にアマゾンで大量に注文しておいたクリスマスプレゼントが、何かの間違いでキャンセルされていて一つも届いておらず、仕方がないのでクリスマスイブに買い物に出かけたら、店員さんが袋を一つ渡し忘れたようで、忙しかった私も夜の11時ににプレゼントをラッピングしている時にようやく気づくも既に閉店後。仕方なく24時間営業のドラッグストアに行って、買い足してようやくクリスマスにこぎつけました。

仲のいい友達に"This isn't your month."(今月はついていない月なのよ。)と言い放たれましたが、本当にその通りです。


あと6日で新しい月、新しい年か。事故にでもあわないように気をつけよう。


一時帰国(その1)


その2を書く余裕があるかは分かりませんが、とりあえずその1.


3日くらい前に戻ってきました。


12月上旬は、日本語学校で書道のクラスがあったり、




クリスマスツリーを買いに行ったり、




まぁ普通に過ごしていたのですが、長年寝たきりだった母が亡くなったと連絡が入ったのが火曜日。

そんな事もあるかもしれないと思って、夏には円造のパスポートを申請してあったのですが、何と自分のパスポートが切れていることに気づき、あまりのバカさ加減に笑いました。

水曜日にロサンゼルスの領事館まで、緊急用の出国書類をもらいに行き、




その日はいったん帰り、翌日木曜日にロサンゼルスを発ちました。




前日春奈が吐いていたり、私もいつも偏頭痛がでたりしたのですが、だんなも今回は(あえて「今回は」を強調したい)機内で協力してくれたので、想像以上に楽な旅でした。

初日は成田空港近辺のホテルで一泊。



どうせ本人は覚えていないでしょうが、円造にとっては初めての日本です。




通夜、告別式とも親戚が来て、母の思い出話に盛り上がりました。私が子供の頃に脳腫瘍を患い、以後年々といろいろな事ができなくなり、私が成人する頃には、おそらく他の人はそうしているであろう、自分の子と大人同士の関係を築くという事ができる状態ではなかったので、母がどのような人だったか話を聞かせてもらえるよい機会になりました。




父のアパートにて。いとこ達と久々の再会で子供達は本当にうれしそうでした。




父が秋に引っ越してきたこの土地は、小さな漁港があり、大根やキャベツで有名な三浦半島にあります。



周りも昔から住んでいる人が多そうな感じで、私はこういう所が好きです。




びっくりするくらい狭くて危険な歩道を歩いたり(なぜキャベツ畑の前でかっこつけているのかは不明)



暴走老人父のバイクを見せてもらったり。




お天気がいいと、相模湾の向こうに富士山が見えます。県営住宅なのにこれはすごい!




子供達はだがし屋さん初体験したり、




バスに乗ったり、



日本のマックで食べ比べてみたり。




横須賀までお買い物に出かけた日は、なぜかどぶ板(という地域)の裏の住宅地に入り込んでしまい、子供達は変にテンションが上がって追い掛け回す羽目になりましたが、まぁ楽しかったようなのでよしとしましょう。



その2に続く・・・